逢沢りく 下

著者 :
  • 文藝春秋 (2014年10月23日発売)
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なんとも不思議な読後感。映画を一本観た後のような感じ。
「猫村さん」や「B&D」でハマった、ほしよりこのエンピツ漫画ワールド。この「逢沢りく」は「小泉今日子書評集」で紹介されていたのがキッカケで読みたくなったもの。図書館で予約を入れ、待つことはや半年。ようやく読めたYO!!

「逢沢りく」は主人公の女の子の名前。男の子でもアリかなという、中性的な名前である。その名前が、ババン!とタイトル、なのである。

逢沢家は、アパレル経営のパパ、宗と、美人で意識高い系のママ、朝絵と、中学生の娘、りくの3人家族。まさに「絵に描いたような」お洒落で裕福なファミリーだ。だけどもパパは会社の部下の若い女性と不倫中。夫の火遊びに、ママは余裕の構えで知らんふり、だけど内心は…。このあたりは、「猫村さん」に登場する犬神家とだいだい同じパターンだけど、逢沢りくには、犬神尾仁子と違って気の合うおばあちゃんはいないし、もちろん猫の家政婦もいない。出口のない「機能不全家族」の中で、逢沢りくは哀しいくらい一人ぼっちなのだ。

両親に似て容姿に恵まれたりくは、学校でも同級生や先生から特別視される美少女。上質で混じり気のないオーガニックな生活の中で、母娘の「選民意識の高さ」は磨かれていく。そのりくが、母親の一存で、なぜか父方の親戚の家に預けられることになる。しかも関西の。関西の?そう、関西の。母親が馬鹿にして嫌っている、「下品でうるさい関西人」たちに揉まれなければならないのだ。母娘一心同体、朝絵の口にする価値観をそのまんま自分の価値観として受け止めているりくには、つらい試練…。

朝絵の歪みっぷりが凄い。娘が嫌がると知っていてこの仕打ち。「資格を取るために勉強したい、自分の時間を持ちたい」というのが表向きの理由だけど、裏に見え隠れするのは、妻で母(でしかない)という自分の存在に対する虚無感?実存的不安? 朝絵の心のブラックボックスは読めない。たぶん本人にも。

りくは誓う。「私は絶対 染まらない」

関西の親戚一家がまたすごい、ベタなくらい「絵に描いたような」オモシロ家族。コミュニケーションのとり方が逢沢家とはまったく違う。まさにカルチャーショック。
私自身、根っからの関東人なので、りくのショックがちょっとわかる…。
「関西弁」という外国語の、軽妙なリズム、豊かな表情、ぜんぶがズルい。「関西人の言う事って どこまで本気で真面目なのか… 境界線がわからない… っていうか 関西弁ってだけで 全部ふざけて聞こえる…」(下巻 p. 99〜100)関西流コミュニケーションには、りくをもってしても、徐々に、しかし確実に、心を動かされてしまう。そして小さい子どもの話す関西弁の可愛さといったら!「あなた、時男くんだっけ?」「時ちゃんやけどー」りくと時ちゃんのやりとりの温度差が良い。
「B&D」のチイチイといい、ほしさんの描く子どもたちには、いつも心をわしづかみにされる。

「バッカじゃない」「キモい」「オエッ」
それくらいしか内なる言葉を持たなかったりくも、母親と離れ、暑苦しいオール関西弁ホストファミリーに包まれているうちに、やがて自分の言葉で、自分の置かれた境遇を考えるようになる。
「ただ起きて 何か食べて 寝て…って くり返してるだけなのに 年を取っちゃった… 年なんか取りたくないのに いたくない所に行かされて 知りたくもない事を教えこまれて 着たくない物着せられて… 時間がただ過ぎるだけなのに、年を取ったら突然放り出される」(p. 95)
「今度はどこに行くのかな… あそこに帰っても またあそこじゃない どこかへ 行かないといけない 気がする 今度は… 自分で決めなきゃいけないのかな… でも大人になっても結局ずーっと探し続ける気がする 死ぬまで…」(p. 174〜175)

りくは一体どんな大人になるのかな。
自分の言葉を持ったりくは、小さな時ちゃんのために、とっさに「優しいうそ」をつく。誰でもなく「自分の意思」で。かつてのりくが、他者と距離をとり、自分を演出するために、蛇口をひねるように流していた「うその涙」。これはそれとは違う、相手を思いやり、つながろうとする「うそ」。その時りくは、はじめて「本気の涙」を流す。

ラスト、トリュフォーの「大人は判ってくれない」を思い出しました。走って、走って、走って、走りきったアントワーヌ・ドワネルと、逢沢りくが重なった。

欲を言えば、スピンオフ的な感じで、朝絵の若い頃のお話も読みたいナ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: コミックス
感想投稿日 : 2017年3月4日
読了日 : 2017年3月4日
本棚登録日 : 2016年4月21日

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