森にかよう道 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社 (1994年7月28日発売)
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森の営みと人の営み。人の営みは経済の営みといいかえてもいいのだけど、その時間軸は圧倒的に違う。森は循環する時間で動く。そして基本的に「かわらない」。人の営みの時間は直線的に動く。そして本質は「変化」。かつて人は森のそばにすみ、そして森の循環する時間のなかで同化していきてきたが、近代以降は、森は人が利用する資源としてあつかわれるおうになり両社の関係が破壊され結果として森がどんどん駄目になってきている、というお話。

1960年代に山村の過疎化がはじまる。それに対して山村を「近代化」する方策で対抗しようとしてリゾート化、道路、工場誘致などを展開。しかし過疎化に歯止めはかからない。過疎化に対処する策は山村の近代化だったのか?35

日本の森林の割合は67%、ドイツは30%、フランスは27%、イギリスは9%。38

民間の優良林業家の森を訪ねると自然保護か林業かという争いは無意味。美しい森は林業として見ても優れている。すぐれた農地は美しいのと同じように一次産業を長期にわたって持続させる基礎には、その土地の美しさは基盤としてある70

森は海の恋人103

それはもしかすると変わることのなかった景色がつくりだしているものなのかもしれない。おそらく十年前も、いや千年も二千年も前に私がこの場所を訪れたとしても、赤石川はいまと同じように原生的な部案の森の下を流れおちていたことだろう。するとその日の私は百年前の景色に出あい、千年も二千年も前の景色にであったことになる。そのことに私はめまいがするほど不思議なことにかんじられた。なぜなら今という時間を経験しながら、同時に過去の時間も経験しているのであるから。人間が作り出した歴史がめまぐるしい変化をとげてりう間、白神山地の森と川は何もかわることなくそこにどどまっていた。115

(森のように)循環する時間世界の中で暮らすものたちは、変化を求めてはいない。だが現代の人間はそんな時間世界のなかでいきていない。私たちはけっして循環することなく変わりつづける直線的な時間のなかで生きているのである。119

森の時間は多様。草のように1年でまわるもの、動物のように数年でまわるもの、木のように何百年でまわるもの。そういった多様な時間が流れている。

鮭は森に帰る136

現在の私たちは時間とは矢のように過ぎ去るものだとかんがえている。現代の人間にとって時間とは時計の秒針のように同じ速度で動きしかも時の矢のごとく直線運動をしていていちど過ぎ去った時間は二度とかえってこないものととらえられている。折口信夫はこうした「直線運動としての時間」と呼び、日本にはこれとは別の「循環する時間」というものがあると提唱。234

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: そのほか
感想投稿日 : 2011年9月14日
読了日 : 2011年9月14日
本棚登録日 : 2011年9月7日

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