山本勘助 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2006年12月19日発売)
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感想 : 7
5

(2007.03.26読了)(2007.03.16購入)
山梨の歴史を研究している専門家による山本勘助に関する本です。
山本勘助が武田信玄の軍師だったというのは、証拠不十分で、確証は難しいようです。したがって、NHK大河ドラマの脚本家は、自由に山本勘助を動かすことができたようです。
山本勘助に関しての記述があるのは、「甲陽軍鑑」という本で、その記述を基に江戸時代にいろいろな脚色が加えられて、現在巷に流布しているような山本勘助ができあがった。
この本では、もう一度原典に戻って、「甲陽軍鑑」で、山本勘助がどのように記述されているのかを述べています。
僕も、この本を読む前に「甲陽軍鑑」を読んでみたのですが、山本勘助に関する記述はほとんど見つからず、著者のように読み取ることはできませんでした。
明示的に、山本勘助と言う名前が記述されていなくても、山本勘助のこととして読み取るべきところが多々あったのだろうと思います。その辺が専門家と素人の違いということなのでしょう。
この本の章立ては、以下のとおりです。
「序章 虚構と史実のはざまで」「第一章 「甲陽軍鑑」が語る山本勘助の生涯」「第二章 信玄と勘助の対話」「第三章 武田家に残した記憶」「第四章 「勘助流」軍略と築城術の全貌」「終章 山本菅助は山本勘助か」

●歴史学における山本勘助の認識(12頁)
山本勘助は、①武田信玄の軍師で、②三河の国の出身であり、③隻眼で片足も不自由であったが、④信玄の信頼を得て活躍し、⑤晴幸の諱を称したとされ、⑥川中島の合戦で戦死したという。⑦だが、実在の人物かどうかは不明。
●山本勘助の生涯(43頁)
明応九年(1500)誕生。→26歳で本国を出て武者修業を始める。→37歳で駿河国に入り、今川義元への仕官を望む。→駿河滞在九年目、44歳のときに甲斐に入って信玄に仕える。→52歳で出家。→川中島の戦いで戦死。享年62歳。

著者 平山 優
1964年 東京都生まれ
1989年 立教大学大学院文学研究科博士前期課程修了
山梨県史編さん室主査
山梨大学非常勤講師
(2008年1月20日・記)

☆関連図書(既読)
「風林火山」井上靖著、新潮文庫、1958.12.05
「甲陽軍鑑」佐藤正英著、ちくま学芸文庫、2006.12.10

(「MARC」データベースより)amazon
戦国最強、風林火山。その礎を築いた「軍師」が武田信玄に授けた哲学とは。唯一の一次資料「甲陽軍鑑」のみに依拠し、一切の虚飾を排した山本勘助の実像を追求した初めての試み。その知られざる智謀と卓見が浮かび上がる!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 山本勘助とその周辺
感想投稿日 : 2010年2月26日
読了日 : 2007年3月26日
本棚登録日 : 2007年3月26日

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