一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-

著者 :
  • 講談社 (2006年9月22日発売)
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(2007.10.20読了)(拝借)
新二の兄の健一は、高校を出て、ジュピロ磐田に入った。
ジュピロ磐田へ出発する前に、町田のスポーツ用品店でスパイクを買ってくれた。
谷口若菜に「なんで、サッカーやめたの?」と聞かれた新二は、「自分の能力みたいのに幅があるじゃん。最低から最高までさ。その一番上が見えないのがいい。夢とかさ、なんか、そういうことなんだけど、やれるかもしれないって自分で思えるのがいい」と答えた。(27頁)
谷口は、仙波にあこがれて陸上を始めた。短距離を走っていたけど、中長距離に転向をしようとしていた。
(新二と谷口の関係もなかなかよく書けていると思う。)
短距離は、10月末から3月末までまったく試合がなく、鍛錬期となる。(32頁)
新二の課題は、「持っているパワーをまるっきり無駄にしているから、ちゃんと走りに生かせるようにする」こと。(33頁)
春になり、新入生が入ってきた。短距離に、桃内が加入した。
三月末の春合宿は、鷲谷高校と合同で行った。100mのタイム・トライアルで、仙波、一ノ瀬、高梨、神谷の4人で走った。タイムは、順に10秒7、10秒8、11秒0、11秒2だった。スタートは、一ノ瀬がリードし、仙波が途中で一ノ瀬を抜いた。
地区予選では、100m、200m、4継、マイル(1600mリレー)と走り、4種目全部県大会に行けることになった。マイルは今回始めて走った。
県大会では、トイレ行きは、桃内がへその周辺にチタンテープを貼ってくれたことで不要になった。100m予選ではいいスタートができた。準決勝は、雨の中を走り、高梨に勝ってトップでゴールし、決勝進出。決勝は、体が思うように動かずドンケツ。一ノ瀬連は、3着で、南関東進出。
400mリレーは、桃内、連、守屋、新二、で走る。予選は6位通過。決勝では3位に入ったけど、連が左太腿裏側の肉離れを起こした。南関東進出はできたけど。
マイルも200mも南関東進出はできなかった。
連は、4継に出たがったけど三輪先生は許可しなかった。
南関東の4継は、桃内、新二、根岸、守屋で走ったが、5着で決勝進出はできなかった。
三年が引退するに当たり、守屋さんから次期部長は、神谷がやれと告げられた。
夏には、三輪先生に個人メニューを組んでもらって、練習に明け暮れた。
新人戦地区大会では、100m、200m、4継で県大会進出を決めた。4継は、連が前痛めた反対側の腿に違和感があるというので一年の後藤が走った。
9月、新人戦県大会。100m予選は、新二、連、桃内、三人とも通過した。
準決勝では、新二は、仙波に続き2位で通過。10秒台で走った。
「未知の速さ、体をフルに使えた感覚、どんなに気持ちがいいか!このスピードで走ったやつにしか絶対わからない。」(192頁)
決勝は、「緊張しているのか高揚しているのか、よくわからなかった。体が熱く、重く、かたい感じがした。決勝のGだ。」(194頁)という状態で、4位だった。関東大会は3位まで。
200mは、連と3位争いをしたが、ゴール前で抜かれて、4位。
4継は、決勝で2位になり、関東進出。
10月3週目の土曜日、新人戦関東選抜大会。
4継は、桃内、連、根岸、新二で走って、予選通過。決勝は、7位。優勝は、鷲谷高校。
兄の健一が、自動車事故で、大怪我をしてしまった。落ち込んで、翌日学校を休んだ。
しばらくは、部活を休んだ。
11月、丹沢湖の県駅伝。中長距離ランナーの最大のレース。応援に出かけた。
「短距離でも長距離でも、タイムにも順位にもかかわらず、限界にチャレンジして走ることが、単純に尊い。」(266頁)
(2007年10月27日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
少しずつ陸上経験値を上げる新二と連。才能の残酷さ、勝負の厳しさに出会いながらも強烈に感じる、走ることの楽しさ。意味なんかない。でも走ることが、単純に、尊いのだ。今年いちばんの陸上青春小説、第2巻。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学
感想投稿日 : 2010年3月5日
読了日 : 2007年10月20日
本棚登録日 : 2007年10月20日

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