何を今更の名作を、十数年ぶりに再読。
齋藤孝さんの『なぜ本を踏んではいけないのか』の中で、「命がけでもたらされた本」と言う章に本著が参考として挙げられていた。
観る眼を変えて再読したのだが、読んでみて良かった。本当に良かった。
読後ひと月以上経つのに、いまだに目の前には遣唐使船で唐に渡った学僧たちの姿が遠景のように浮かび上がる。
歴史ロマンなどという括りではとても語り切れない壮大な話で、登場人物は殆どが実在した人々。
歴史的事実を忠実に織り交ぜ、ごく少ない資料から著者は想像力を巡らせて怜悧な筆致で書き上げている。清々しく、整然とした文章は本当に気持ちが良く、サクサクと読める。
しかしそのテーマは痛切で深遠だ。
船と言っても木造船で、追い風と潮の流れをのみ頼りにして進む。当然のことながら若き知性たちが海の藻屑となったことも数知れない。
例え無事に渡っても、帰還出来るかどうかも分からないという不安さ。それでもなお彼らの心を駆り立てたものはなんだったのか。
話は「普照(ふしょう)」という学僧を中心にして進む。
一番情熱も実行力も持たなかった彼が、最終的には「鑑真」を伴って故国の土を踏む。
他には「栄叡(ようえい)」「戒融(かいゆう)」「玄朗(げんろう)」の計4人の僧たち。
唐に渡ってから知りえた僧たちも登場し、教科書でお馴染みの「阿倍仲麻呂」や「吉備真備」の名もある。
わけても心惹かれたのは「業行」という老僧の言葉だ。
『私の写したあの経典は日本の土を踏むと、自分で歩き出しますよ。
私を棄ててどんどん方々へ歩いて行きますよ。大勢の僧侶があれを読み、あれを写し、あれを学ぶ。仏陀の心が、仏陀の教えが広まって行く。』
・・だが、「業行」の望みは海の底に消えることとなる。
机の前でひたすら写経した積年の努力も水泡に帰してしまうのだ。
それでも私はこの「業行」の思いに共感しないでいられない。
もしかしたらすべてが無駄な行為かもしれない。
それでもその先の夢のために、やり遂げずにはいられない。
私たちの生もまた、そのようなものではないのだろうか。
無事に経典を日本に持ち帰れるかどうかも分からず、また持ち帰ったところで日本に生かせるかどうかも分からない。
それでも命を賭けた彼ら。それほどにひとの世の真理を説いた経典は価値のあるものだったのだ。
タイトルになっている「甍」は、後半部分にわずかに登場する。
「鑑真」が建立した唐招提寺の屋根の向うには、秋の青空が広がっていることだろう。
- 感想投稿日 : 2019年9月21日
- 読了日 : 2019年9月21日
- 本棚登録日 : 2019年9月21日
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