天平の甍 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1964年3月20日発売)
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本棚登録 : 1747
感想 : 177
5

何を今更の名作を、十数年ぶりに再読。
齋藤孝さんの『なぜ本を踏んではいけないのか』の中で、「命がけでもたらされた本」と言う章に本著が参考として挙げられていた。
観る眼を変えて再読したのだが、読んでみて良かった。本当に良かった。
読後ひと月以上経つのに、いまだに目の前には遣唐使船で唐に渡った学僧たちの姿が遠景のように浮かび上がる。

歴史ロマンなどという括りではとても語り切れない壮大な話で、登場人物は殆どが実在した人々。
歴史的事実を忠実に織り交ぜ、ごく少ない資料から著者は想像力を巡らせて怜悧な筆致で書き上げている。清々しく、整然とした文章は本当に気持ちが良く、サクサクと読める。
しかしそのテーマは痛切で深遠だ。

船と言っても木造船で、追い風と潮の流れをのみ頼りにして進む。当然のことながら若き知性たちが海の藻屑となったことも数知れない。
例え無事に渡っても、帰還出来るかどうかも分からないという不安さ。それでもなお彼らの心を駆り立てたものはなんだったのか。

話は「普照(ふしょう)」という学僧を中心にして進む。
一番情熱も実行力も持たなかった彼が、最終的には「鑑真」を伴って故国の土を踏む。
他には「栄叡(ようえい)」「戒融(かいゆう)」「玄朗(げんろう)」の計4人の僧たち。
唐に渡ってから知りえた僧たちも登場し、教科書でお馴染みの「阿倍仲麻呂」や「吉備真備」の名もある。

わけても心惹かれたのは「業行」という老僧の言葉だ。
『私の写したあの経典は日本の土を踏むと、自分で歩き出しますよ。
私を棄ててどんどん方々へ歩いて行きますよ。大勢の僧侶があれを読み、あれを写し、あれを学ぶ。仏陀の心が、仏陀の教えが広まって行く。』

・・だが、「業行」の望みは海の底に消えることとなる。
机の前でひたすら写経した積年の努力も水泡に帰してしまうのだ。
それでも私はこの「業行」の思いに共感しないでいられない。
もしかしたらすべてが無駄な行為かもしれない。
それでもその先の夢のために、やり遂げずにはいられない。
私たちの生もまた、そのようなものではないのだろうか。

無事に経典を日本に持ち帰れるかどうかも分からず、また持ち帰ったところで日本に生かせるかどうかも分からない。
それでも命を賭けた彼ら。それほどにひとの世の真理を説いた経典は価値のあるものだったのだ。

タイトルになっている「甍」は、後半部分にわずかに登場する。
「鑑真」が建立した唐招提寺の屋根の向うには、秋の青空が広がっていることだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2019年9月21日
読了日 : 2019年9月21日
本棚登録日 : 2019年9月21日

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コメント 4件

hotaruさんのコメント
2019/10/05

nejidonさん、こんにちは。
いつも明解で読みやすいレビュー、楽しみにしています。
私もこの作品大好きです。井上靖作の中で一番かも。
nejidonさんが描写してくれた業行の姿は、私も特に印象に残ってます。
改めて読みたくなってきました。
ご紹介ありがとうございます。

nejidonさんのコメント
2019/10/06

hotaruさん、こんにちは(^^♪
コメントありがとうございます。
これはとても素晴らしい作品でしたね。
もっともっと沢山のひとに読まれてほしいという願いを込めたレビューです・笑
はい、私も井上靖の著作の中では一番好きです。文章も美しいし。
そして業行は非常に心惹かれる存在でした。
学僧たちは皆あのようであったと思っていたら、ひとそれぞれだった
というのも、無常を感じます。
ところで先ほどhotaruさんの本棚で「絵を見る技術」を発見しました。
あちらも大変読みごたえもある本です。
レビューを楽しみにしておりますね。

地球っこさんのコメント
2020/01/13

nejidonさん、こんばんは。
とても感慨深く読み終えることができました。
素晴らしい本を教えてくださりありがとうございました(*^^*)
でも感想がなかなか書けなくて。
自分の語彙力のなさにトホホ……です。

nejidonさんのコメント
2020/01/13

地球っこさん、コメントありがとうございます!
お読みいただいて、本当に本当に嬉しいです(^^♪
「いいね」が何十個付くよりも、何万倍も嬉しいです。
さすが、ノーベル文学賞候補になった方だけありますよね。
文章から香り立つ気品と、底に流れる豊かさがまぁ素晴らしいと思います。
読み手の気持ちを鼓舞するものがいつもあって、そこがたまらなく好きです。
レビューがなかなか書けないのは、皆さん同じではないかしら?
私もかなり時間を置いてから(落ち着いてから)書いたような。。
まぁ、大体いつもそうなんですけどね。
歴史的名作であればあるほど、「これ好きー!」なんて簡単に言えませんよ・笑
でもこうしてレビューを読むことが出来てコメントまで下さって、地球っこさんと
同じ本のことでお話出来てます。
本て、素晴らしいですね!!

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