幻談、観画談、骨董、魔法修行者、盧声の五編。
中でも幻談と骨董が印象深い。
幻談は淡々と物語が進むが、小説のようで随筆のように感じられる箇所もあり、読み通したあと落語を聴いた気持ちになる。
美しい日本語で綴られる話は、静かに気持ちが折り重なって、気づいたら重みを持ち始めている。
骨董では、真物真筆を大金で買うときの大金は喜悦税や高慢税というもので、「関西の大富豪で茶道好きだった人が、死ぬ間際に数万金で一茶器を手に入れて、幾時間を楽しんで死んでしまった。一時間が何千円に当たった訳だ、なぞと譏る者があるが、それは譏る方がケチな根性で、一生理屈地獄でノタウチ廻るよりほかの能のない、理屈をぬけた楽しい天地のあることを知らぬからの論だ。趣味の前には百万両だって煙草の煙よりも果敢ないものにしか思えぬことを会得しないからだ。」という考えを織り交ぜているが、自身は「自分も高慢税は沢山出したい。が、不埒千万、人生五十年過ぎてもまだ滞納とは怪しからぬものだ。」と言っているのが失礼ながらチャーミングだった。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
2015年 読了
- 感想投稿日 : 2015年6月16日
- 読了日 : 2015年5月27日
- 本棚登録日 : 2015年5月14日
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