上下巻読了で。
何だろうなぁ。主人公のくたびれた感が、今の私にジャストヒット、といったところでしょうか。
踊るんだと。それも上手に。意味など考えずに。
人によって、色んな解釈があるんだと思います。
でも、そのくたびれた感に共鳴してしまった私は、
「自分の持つ暗い闇の部分と、現実での自分、両方とうまくやんなさいよ。」
というメッセージに変えてその「踊る」を受け止めてしまいました。
最近。新しいクラスの担任になり、新しいクラスの感じに馴染めないでいる。
教員やって9年目。もうそろそろ限界かなぁ、なんて思ったり。
難しい年齢なのは分かってる。でもむやみに反抗されたり、勝手な行動をとり、注意を受け勝手に怒ってる子どもたちを見て、
正直どうでもいいやぁ、と思う今日この頃。
子どもをどうこうしようとか、わたし、本当にどうでもいいと思ってるんじゃないかと思う今日この頃。
疲れに疲れがたまっている今日この頃。
学校が苦手でした。学校なんてどうでもいいと思ってた。
それでも学校には行かなくてはいけなかった。
そんなところに、小さな居場所を作ってあげることができたらと、そう思ってきた気がします。
でも、もう、限界かなぁ。わたしはあまり、求められていないようだ。
「悪意の総量は変わらない。」
「世の中には、いわれのない悪意を向けられることがある。」
人は、とても汚いものなのだと思い知らされます。
でもその言葉で、他人を責めるわけにはいきません。
汚いと感じる私もまた、汚い人間なのです。分かる部分があるからこそ、嫌だと思う。しかしながら、その悪意を一心に向けられたら、いったいどうしたらいいんでしょう。
やるべきことは、一つしかない。その悪意を受け止め、他に影響を及ぼさないようにすることです。
ただ、その処理の仕方が分からない。受け止めきれなかったものを、私は「悪意に見えない悪意」に変えて、人に向けているのではないかと、自分を責めます。そもそも謂れのない悪意とは言うけれど、謂れのないというのは本当かと、自分を顧みて、また責めます。向けられた悪意に傷つきながら。
受け流すことは、許されることなのでしょうか。許されるとしてもわたしは受け流し方が下手、もしくは受け流すことができない気がする。
真っ向から悪意を受け止めたら、自分が壊れてしまう。今、そのギリギリのところで、私は耐えている。
壊れませんように。もう少し、耐えられますように。あと少し、人の善意に賭けられる自分でありますように。
また、頑張ろう。あと、どれくらい?わからないや。頑張れるだけ。あと、少しだけ。頑張ろう。
- 感想投稿日 : 2015年5月5日
- 読了日 : 2015年5月5日
- 本棚登録日 : 2015年5月5日
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