ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

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  • 講談社 (2004年10月15日発売)
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上下巻読了で。

何だろうなぁ。主人公のくたびれた感が、今の私にジャストヒット、といったところでしょうか。

踊るんだと。それも上手に。意味など考えずに。


人によって、色んな解釈があるんだと思います。
でも、そのくたびれた感に共鳴してしまった私は、

「自分の持つ暗い闇の部分と、現実での自分、両方とうまくやんなさいよ。」

というメッセージに変えてその「踊る」を受け止めてしまいました。


最近。新しいクラスの担任になり、新しいクラスの感じに馴染めないでいる。

教員やって9年目。もうそろそろ限界かなぁ、なんて思ったり。

難しい年齢なのは分かってる。でもむやみに反抗されたり、勝手な行動をとり、注意を受け勝手に怒ってる子どもたちを見て、

正直どうでもいいやぁ、と思う今日この頃。

子どもをどうこうしようとか、わたし、本当にどうでもいいと思ってるんじゃないかと思う今日この頃。

疲れに疲れがたまっている今日この頃。


学校が苦手でした。学校なんてどうでもいいと思ってた。

それでも学校には行かなくてはいけなかった。

そんなところに、小さな居場所を作ってあげることができたらと、そう思ってきた気がします。



でも、もう、限界かなぁ。わたしはあまり、求められていないようだ。

「悪意の総量は変わらない。」
「世の中には、いわれのない悪意を向けられることがある。」

 人は、とても汚いものなのだと思い知らされます。

 でもその言葉で、他人を責めるわけにはいきません。
汚いと感じる私もまた、汚い人間なのです。分かる部分があるからこそ、嫌だと思う。しかしながら、その悪意を一心に向けられたら、いったいどうしたらいいんでしょう。

 やるべきことは、一つしかない。その悪意を受け止め、他に影響を及ぼさないようにすることです。

 ただ、その処理の仕方が分からない。受け止めきれなかったものを、私は「悪意に見えない悪意」に変えて、人に向けているのではないかと、自分を責めます。そもそも謂れのない悪意とは言うけれど、謂れのないというのは本当かと、自分を顧みて、また責めます。向けられた悪意に傷つきながら。


受け流すことは、許されることなのでしょうか。許されるとしてもわたしは受け流し方が下手、もしくは受け流すことができない気がする。

真っ向から悪意を受け止めたら、自分が壊れてしまう。今、そのギリギリのところで、私は耐えている。

壊れませんように。もう少し、耐えられますように。あと少し、人の善意に賭けられる自分でありますように。

また、頑張ろう。あと、どれくらい?わからないや。頑張れるだけ。あと、少しだけ。頑張ろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2015年5月5日
読了日 : 2015年5月5日
本棚登録日 : 2015年5月5日

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