街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

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  • ミシマ社 (2014年10月24日発売)
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 どうか、これから先を生きる未来の日本人が、苦しく、自国を受け入れられず、更なる未来を思い描けず、辛い思いをしながら、生きることのないように、

私たちはもっと、先のことを考えて、(それは未来の「自分」ではなく、もっと大きな流れのこと)生きねばならぬのです、

と、言われた気がした。



最近ネットのニュースで、「世界の全寮制の学校の学費ランキング」というものがやっていた。高い順にランク付けがされているのだが、そこの出身者も載っていて、

「あぁ、なんだ。お金持ちのコミュニティは、こういうところで作られて、こんな風に壁が作られていくのだ。」ということをまざまざと思い知った気がした。

何を今更、というような感想かもしれないが、
「意外にこの人も」という人がすごくお金持ちの全寮制出身だったりして、世の中のコネの強さを思い知ったというか、今表舞台に立っている人は、その人の実力のみで立っているわけではないんだ、という現実を突きつけられた気がした。


それと同時に、「日本にはこういうシステム、ないな。」と思った。いや、もちろん似たものはあるよ。お金持ちやコネがものをいう学校は。ただ、規模が違うというか、世界に比較したら猿真似に過ぎないというか、日本人で本当に今あるコネなり財力活かしたかったら、外国の全寮制行くよね、みたいな。たとえそこで行けたとしても、「代々お金持ち」とかじゃない、成金扱いというか、新参者感否めないよね、みたいな。


まぁ勝手にそんなことを思ったわけですが、

それと同時に、「なんだ、世界って思ったほど変わってないんだ。リベラルを、私は語るべきじゃないんだ。」と、脳天勝ち割られたような衝撃を受けた気がする。


いや、分かるのよ、気づくの遅すぎるって。

「私が、文化的なことに理解を務めようとしても、それは結局猿真似に過ぎない。」
「猿が人間の真似しようとしてるに過ぎない。」
「お前は地球が裏返っても、『リアル』にはなれない。」

 

 じゃあ、どう生きるのか。


 やはり、手の届く範囲のものを、手に届く範囲で、慈しむことしかできないのだろう。


 自分から、価値の転換を求めて、あれやこれや画策し、行動するのは、どうも身の丈に合わない。

 私は、この本でいう「強い現実」に、自分の足場を固めていたい。

 でもそれと同時に、自由でありたい。


 わたしはそのわがままな意思を貫こうと、今までもがき苦しんできました。いや、今でももがいています。


 どうやら、強い現実に身を置いていたければ、「自由」であることは諦めなさいよ。


 そう言われているみたいで。


 できそうな気がするんですが、集団の価値はそれを認めないというか。「俺が、私が諦めたもん、あんたは両方手に入れようったって、そうはさせない。」という圧力に引っ張られるようです。


 だから、しばし日本を離れる選択をしたのですが。

 やはりわたしはわがままなのかもしれませんね。

 ここまで自由を求める人間んであるとなると、

 わたしは余程、(日本にとって)変な人間であるはずです。でもそれが悪いだなんて、つゆほども思いません。

 自由であることって、なんなのでしょうね。

 責任を負わないことでしょうか。

 それだけでは、ない気がします。

 自分が大切にしている価値を、守れる、ということではないかと思います。

 でも、その価値が、「自分」であればあるほど、「集団の価値」から離れれば離れるほど、「我が強い」「面倒くさい」人間となり、孤立する。

 「それ、当然でしょ?」?

 本当に?

 
 随分と、わたしは西洋化された思想の持主らしいが、(本人はそう思ってませんが)
 この時代において、日本人もまた、全然考え方が西洋化してないんですよね。きっと。

 どちらでもいいんです。そんなこと。


 自分と、自分の周りを、慈しむことができるように、
 自分じゃなくて、もっと大きな流れを見据えて生きることができるように、生きていきます。


 私は、自分が嫌だと思うことを、しないで生きます。
 それと同時に、人のために、生きていきます。


 矛盾してますか。できると思うのです。

 でもそれが、とても難しい気がするのです。
 

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2016年2月1日
読了日 : 2016年2月1日
本棚登録日 : 2016年2月1日

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