久しぶりに読んだ三浦綾子さんの本。
三浦綾子さんのご主人に対する思いが素敵です。
三浦綾子さんの著書は全て、その根底にキリストを伝えたいという、その思いが流れています。それ故に文壇からは「護教文学」と、敢えて無視され続けてきたと聞いたことがあります。
それでも、書きつづけた三浦綾子さんのこの言葉が響いてきました。
キリストを信じる者の強さを感じました。
わたしの場合、護教文学かも知れない、宣教文学かもしれない。それは、文学的には邪道かもしれない。そのことを充分承知の上で敢えて、わたしは今まで書きつづけてきた。
とにかく、わたしは、文学を至上とするのではなく、神を至上とする以上、信者としての自分が日本に於いて今しなければならないことは、キリストを伝えることであると思っている。
だから、私には、キリスト信仰を持つ文学者のいだく「信仰と文学」両立のための悩みはないとも言える。わたしは、今、ひたすらキリストを伝えたいのだ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
エッセイ・対談
- 感想投稿日 : 2012年1月4日
- 読了日 : 2012年1月4日
- 本棚登録日 : 2012年1月4日
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