「孫子」の読み方

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  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2005年8月1日発売)
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著書の山本七平氏は、太平洋戦争に従軍した。戦前も孫子を読んでいたが、ピンと来なかった。戦後、孫子を読んでみると、日本軍の組織運営がいかに間違っていたかの衝撃を得たという言う。

私自身、未だ日本は太平洋戦争の総括ができていないと思う。総括できていないから、なにゆえ戦争になったのか、なにゆえ敗れたのかが、理解されていない。そして同じ失敗が企業経営でも起きているのではないか?

著者は、孫子を太平洋戦争や日本の戦国時代になぞらえて解説する。太平洋戦争のような負け戦が日本人の弱さの本質ではない。

組織とはどのように運営すべきか、見事に書き表している。

文庫本ながら、孫子からの引用はそのまま古語表記を用いているため、少し読み砕くのに時間がかかってしまった。

目次・要点
序ーいま、なぜ「孫子」なのか
p3 フィリピンの戦場から帰り、「孫子」を再び読み、脳天を叩かれるような衝撃を受けた。日本軍が戦勝の必須の要件としていた「愛国心」も「滅私奉公」も「必勝の信念」も「孫子」は全く触れていないということである。日本軍とは発想の基本が全くちがう。

p4 部下に対して、自発的努力や能力の発揮、勤勉さえ要求していないし、あてにもしていない。部下が全部新人類であっても、必ず目的を達しうるのが兵法だ。

p4 敵が来たら兵隊は逃げる、敵が来なくても食糧がなくなれば、食糧のある方へ逃亡する。このことは味方にも敵にも当然のことだ。糧秣がなくなれば泥水すすり、草を食み耐えながら、必勝の信念で敵を迎え撃つ、という日本軍の発想とは全くちがう。

1 計 篇 − 的確な見通しの立て方
p30 「道」とは統治者と国民との一体感
 「天」とは時間的条件
 「地」とは地理的条件
 「将」とは将帥の器量
 「法」とは法・制度・原則

p31 日露戦争と日中戦争〜太平洋戦争では、国民の真剣さも上下の一体感も全く異なった。日露戦争は公民一人一人が必死で、言論統制の必要がなかった。日中戦争では昭和13年には物資は不足し、国民は不安から軍部も政府も信頼しかねていた。政府の言論統制が必要になり、戦意高揚を行ったが、一体感を失ったことを示しているにすぎなかった。

p37 古典を読めば、何千年かの人間の体験を追体験して自己のうちに事故の体験として加えることができる。

p39 「兵家の勝、先に伝う可からず」・・・戦術の前に戦略である。策ばかり講ずれば作戦に溺れる。

2 作戦篇 − 早期収束を心がける
p47 八原博通大差が大本営で「経済力が戦力に転化」すると講義したとき、全員の失笑を買った。日中戦争・太平洋戦争の敗因はここにある。

p54 「戦争とは輸送である」 ほとんどは行軍、戦闘は一瞬。補給は、内地を出て前線につくのは二割弱。

p58 「理」とは物事の道筋を正しく治めること 
  「備」とは用意万端、整えること
  「果」とは決断して行うこと
  「戒」とは、慎重に事を行うこと
  「約」とは、事を簡略にすること

p60 あらゆる方法で闘争を回避せよ、万やむをえないときは拙速で切り上げろ、そうしないと競争力を失う、これが「孫子」の「作戦」の基本的な考え方である。

3 謀攻篇 − 戦わずに勝て
p62 自国に損傷を来たさせないことが上策であり、自国を損傷し破滅させるのは下策である。

p64 五たび戦って勝つ国は災難に陥り
  四たび勝つ国は疲弊し
  三度勝つ国は一時的覇権を得
  二度勝つ国は一国の王となり
  一度勝つ国は天命を受けた帝となる

p64 関が原の一戦で天下を取り、真に永続的な政権を樹立した家康は名リーダーである。

4 形 篇 − 敵の崩れを待つ
p85 戦いに勝つ軍は、まず勝ってその後に敵と戦う、一方敗兵はまず戦って、その後で勝を求める。

5 勢 篇 − 組織力で勢いに乗れ
p91 「形」を外的静的量的とすると、「勢」は内的動的質的である。この二つが逆転したのが「形勢逆転」である。

p101 織田信長、栗林中道、八原博通
p102 「勢いに求めて、人を責めず」

6 虚実篇 − 戦いは変幻自在に
p112 「敵の形が明らかで自らの方の形が無いならば、わが軍は集結し敵は分散する。わが軍が集結して一、敵が分散して十ならば、わが軍は十倍の兵力で敵の一を攻めることができる。」
p114 「戦いに勝ったら二度と同じ形をとらない。」
p117 「歴史の教訓」はあくまでも「教訓」であって、同じことが再現すると思ってはならない。

7 軍曹篇 − 相手の油断をさそえ
p119 普通、戦闘は勝ちを争うこととされるが、「孫子」は「利を争う」という。
p120 「迂直の計」ー迂回しながら実は最も近い道を取って要点を確保して不敗の地位に立つこと。
p124 先手先手と追い続けると、補給が続かなくなる。
p124 日本史の中で最も敏速な機動力を発揮したのは秀吉である。柴田勝家方の佐久間盛政戦。50騎を先行させ、十倍にして返すという約束のもと、握り飯と松明を用意させた。秀吉本軍は行軍しながら握り飯を食べた。輜重がおくれるという常識を逆転させ、急追撃の不利を消去して有利だけをつかんだ。
p126 風林火山陰雷
 知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如く。
p132 怯者も勇者も共に進む組織の確立こそ、だいいち用件とすべきである。

8 九変篇 − 臨機応変に対応する
p138 信長は「美濃にあって朝倉家から叡山に寄進された地」を、美濃を切り取った際、併呑してしまった。各地に散在していた叡山の領地を、各地の大名がみな併呑した。叡山は信長を恨み、信長と衝突することになる。
p142 智者は利害の両方を考える。不利なときは、利の面を併せて考えれば、利の方を伸張できる。有利のときは、不利の面を併せて考えればその害が解消できる。
p143 敵が来ないだろうと期待するのでなく、いつでも来いと十分に備えをし、敵が攻撃しないだろうと期待するのでなく、攻めることができない態勢をとれることを期すべきである。

9 行軍篇 − 敵情をどう探るか
p155 部下の健康状態は、あらゆる組織にとって死活の問題である。
p166 関が原の西軍の敗北ー大坂城へ整々と撤退させうる総司令官がいなかった。
p167 平素は文を以って教育し、法令を以って制御する。平素から法令が周知徹底されていれば、動員されたばかりの兵士でも軍律に服従する。

10地形篇 − 組織の統率に意を用いよ
p171 太平洋の島々に兵をばらまくのは簡単だが、撤退できずに各個に撃破される。

11九地篇 − 部下のやる気を引き出す
p188 戦う以外に方法がない所に兵力を投入すれば、兵士は全力を振るって戦わないわけにいかない。絶体絶命になれば必死で戦う。
p190 みなに一様に勇気を奮い立たせて打って一丸とすれば頼りになるので、それを行うのが「政」である。
p192 攻撃に臨む時は、高所に登って梯子をはずす。他国に深く侵入したら、船を焼き払う。
p196 囲地では自ら退路をふさぐ。
p198 日本の衢地(四方に道が通じている要衝)は京都である。
p200 始めは処女の如し敵に油断させ、隙を見て後には脱兎の如し不意に急襲する。

12火攻篇 − 目的の達成は慎重に

13用間篇 − 諜報活動に力を入れる
p215 金を出し惜しみして敵情を知ろうとしないのは、民への思いやりが完全にないことである。誰にも勝る勝利を獲得できるのは、事前に敵情を完全に知っているからである。

用間の例ー秀吉の小田原攻め、毛利元就の厳島の戦い

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年11月5日
読了日 : 2009年10月8日
本棚登録日 : 2018年11月5日

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