人生の五計 困難な時代を生き抜く「しるべ」 (PHP文庫)

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  • PHP研究所 (2005年5月3日発売)
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「五計」とは、宋の朱新仲が定めた教訓とのことである。「五計」も「朱新仲」も、検索しても、安岡氏の著書の解説が上位に出てきて、なかなか十分な情報が出てこない(Wikipediaにも出てこない)。安岡氏が日本で広めたということか?

五計とは次の五つである。
一、生計ーいかに生くべきか。人間の本質的な生き方。
二、身計ーいかに社会に対処していくべきか。社会生活における価値観。
三、家計ーいかに過程を営んでいくべきか。一課の維持。
四、老計ーいかに年をとるべきか。老ゆる計りごと。
五、死計ーいかに死すべきか。死生一如の死生観。

<目次>
第一章 生計
 情理・真理・道理
 汚れきった空気と水
 「日用心法」
 内臓器官の充電時間帯
 「朝こそすべて」
 「朝聞夕改」と朝の読書
 木偶坊にならぬために

第二章 身計
 師恩友益
 「損三」の友
 絶妙なる「絶交論」
 「学生憲章」
 立志と革命
 「教師憲章」と身計の覚悟

第三章 家計
 恋愛結婚か見合結婚か
 「良縁」と「悪縁」
 子育て「いろはガルタ」
 「父母憲章」と敬
 失せてゆく家庭と父たち
 「立派な女房」論
 児童の素質と能力

第四章 老計
 「老計」にみる人情
 益軒の『養生訓』に学ぶ
 文明に挑む頭脳

第五章 死計
 「死生」は「昼夜の理」
 水天一碧の最後
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<学生憲章>
第一章 特性は人間の本性であり、知能、技能は属性であり、習慣は特性に準ずる。三者相待って人間を大成する。
第二章 学生はその特性を養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以って本分とする。
第三章 人間は鍛錬陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。古今人類文化に寄与した偉大な発明発見や開悟も、少なからず二十歳代に行われている。
第四章 学生は人間の青春であり、民族の精華である。その品性・態度・教養・行動はおのずからその民族・国家の前途を標示する。
第五章 学生は自己の学修及び朋友との切磋琢磨を本分とし、出来る限り雑事に拘わることを自戒せねばらなぬ。
第六章 講説の師は得易いが、人間の師は逢いがたい。真の師を得ては、灑掃(さいそう)の労をも厭うべきではない。
第七章 国家・民族の運命を決する重大時機に臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。

<教師憲章>
一、教育は職業的・社会的成功を目的とする手段ではなく、真の人間を造ることを使命とする。
二、子弟が将来いかなる地位に就いても人から信用せられ、いかなる仕事に当たっても容易に習熟する用意のできておる、そういう人間を造ることが教育の主眼である。
三、将来を担う子弟が、明日の行路を誤たず、信念と勇気をもって進む為に要するものは、単なる知識・理論や技術ではなく、人間の歴史的・恒久的な原理であり、典型である。
四、教師は漫りに人を教うる者ではなく、まず自ら善く学ぶ者でなければならぬ。
五、教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、之を子弟に鼓吹してはならない。
六、教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的・社会的活動をしてはならない。
七、現代が経験している科学・技術・産業に於ける諸革命と相応する理性的・精神的・同義的革命が達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師において、いかなる階級の奪権闘争でもなく、もっと内面的・霊的な創造でなければならぬ。

<父母憲章>
一 父母はその子どものおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。
二 家庭は人間教育の素地である。子どもの正しい特性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。
三 父母はその子供の為に、学校にかぎらず、良き師・良き友を択んで、これに就けることを心掛けねばならぬ。
四 父母は随時祖宗の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。
五 父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚校友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。
六 父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならぬ。
七 人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶を重んぜねばならぬ。

<児童憲章>
一 人間進化の機微は胎児に存する。胎児はまず最も慎重に保育されねばならぬ。
二 児童は人生の曙である。清く、明るく、健やかなるを尚ぶ
三 児童に内在する素質、能力は測り知れぬものがある。夙くより啓発と善導を要する。
四 習慣は肉体となり、本能となる生きた主義理論であり、習慣は生活の作品である。良い習慣を身に着けること即ち躾は児童の為に最も大切である。
五 言葉と文字は人間文化の血脈である。児童はなるべく早くから、民族の正しい言葉と文字を学ばねばならぬ。その学習能力を児童は大人よりも純粋鋭敏に本具しているものである。出来れば一、二の外国語を修得することも望ましく、それは又十分可能なことである。
六 児童は祖国の歴史伝統に基づく勝れた文学・芸術や、世界と宇宙の限りない感興に誘う諸々の作品の裡に養われねばならぬ。
七 いかなる艱難辛苦も、輔導宜しきを得れば、児童にとって却って大成の試金石となるものである。

<メモ>
 絶妙なる「絶交論」(76)
「比周、義を傷り(やぶり)、偏党、俗を毀り(やぶり)、志、朋游の私を抑えて、遂に絶交の論を著す。蔡よう、以為(おもへらく)、穆(やわら)は貞にして孤なりと。又、正交を作って、その志を広む」
社会党だの共産党だの公明党だのというのは偏党・・・
それは私心、私欲からのグループ活動である。そういう比宗、義を傷り、偏党、俗を毀り・・・とてもこういう輩と天下の政が行えるものではない。

 恋愛結婚か見合結婚か(110)
結婚というものは、一人と一人の男女が結ばれて、新しい家庭というものを創造する非常に本質的な問題である。

 子育て「いろはガルタ」(128)
「挨拶」・・・ものにピタリと撞着することを言うんです。ピタリと対応することを言うんです。だから、何か言うた時にピシッと返事する、痛いところをピシッと言い当てる、返事することを「一拶」を与えるというようなことを言う。「一挨」でもいいんです。

 「父母憲章」と敬
人間と単なる動物とを区別する最も根源的なボーダーライン、境界の大事なものは何か?(132)
それは「敬」と「恥」であります。愛ではない。
人間に根本的に大切なものは愛よりもむしろ「敬」と「恥」、この二つであって、これを失うと、人間はあきらかに動物並になる。
「敬」するということは、自ら敬し、人を敬するということ。敬という心はより高きもの、より大いなるもの、偉大なるものに対して生ずる。つまり人間が進歩向上の心をもっておることだ。
日本語でもとも感服するのは、勝負をして負けた時に「参った」と言うことです。これは絶対に他の国にない。(135)
参ったということは、負けた相手を偉いと認識、感服することです。

2012.12.16 図書館で見つけて借りる

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年11月5日
読了日 : 2013年2月3日
本棚登録日 : 2018年11月5日

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