昔読んだジョークをひとつ:
ある晩、シェークスピアの芝居を観た英国婦人が、友人に感想を問われて答えた。「ちっとも面白くなかったわ」「どうして?」「どこかで聞いたようなセリフばかりだったから」
言うまでもなく、“どこかで聞いたようなセリフ”のオリジナルがまさにシェークスピアであるわけだが、「古典」という言葉が単に古いだけでなく後世に大きな影響を与えたオリジナルという意味で使われるなら、この婦人の言葉はシェークスピアが真の古典である証だろう。
さて『ソクラテスの弁明』だが、こちらはシェークスピアなど問題にならないくらい筋金入りの古典だ。読んでみると、そこでソクラテスが述べていることはあまりにもベタな理屈であると感じられる。ベタすぎて何のひねりもない。しかし、ひねりを加えるのは模倣者のすることであって、オリジナルにそんな工夫は不要なのだ。
その傾向は、同じ本に収められている『クリトン』でさらに強く現れている。これは、死刑が確定して捕らわれているソクラテスに脱走を勧めに来た友人のクリトンを、法を破ってはいけないと諭すソクラテスの逆説得だ。その言葉のかなりの部分で、彼は自分に向けて問いかける法律の言葉を代弁している。その論理展開たるや、これぞ古典的と呼ぶにふさわしい。
古典とは古い書物ではなく“オリジナル”なのだという事実を認識させられる一冊。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2017年6月18日
- 読了日 : 2005年6月7日
- 本棚登録日 : 2017年6月18日
みんなの感想をみる