なにかに迷っている時に立ち返るために読むとしたらこの本だろう。
鶴見俊輔さんの一言が重く深い。
ヴィトゲンシュタインが師であるラッセルの理論をひっくり返したエピソード、ヘレン・ケラーに会ったときに聞いた話、祖父である後藤新平の話、そして、姉である鶴見和子の話、短い、なにげないエピソードだが、どれをとっても、「ぼくはこう生きている。きみはどうか」と問うているようにこちらに突き刺さってくる。
“一番病”を患う現代社会の住民である我々に、「一番である必要があるのか」と問うてくる。
1905年以降、日本の教育はダメになっている。これ以降、「本当の教育」は終わっていると。
ノーベル賞をとるために予算をつけるのは「箱モノ行政」に過ぎないと喝破する。
蓮舫が事業仕分けで言い放った名言「なぜ二番じゃいけないのですか」を思い起こす。
ゲマインシャフト、路地、斜めの関係など、現代社会が失っているものを、取り返すことは、いま、政権が代わり、少しずつ行われているように思う。
これが、前回の不況、失われた10年とは違うところではないか。政権が変わったことも、新しい公共が語られることも、我々には希望である。
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「作品を読んできた感想は、何か『鞍馬天狗』を読んできた時のように、心がそこに入っているということで、すでに九十歳に近い私が自分の人生の一部として重松清さん小説を読んでいるということだ」
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
仕事・学習
- 感想投稿日 : 2010年3月8日
- 読了日 : 2010年3月8日
- 本棚登録日 : 2010年3月8日
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