大学で、フランス文学を専攻していたのに未読だった『星の王子さま』。家の本棚に子供の頃からあったので、読もうと思えばいつでも読めたのに…。しかも若い時、読みかけてすぐやめた記憶すらある。
今回、大好きなドリアン助川さんが訳しているものがあるのを知り、やっと読んでみた。想像していたほど難解ではなかったものの、様々な解釈ができそうで、一度読んだだけではとてもじゃないがわかったとは言えないと感じた。
きつねとの会話が特に好きだった。
今回初めて知ったのが、かなり沢山の種類の『星の王子さま』が出版されているということ。様々な出版社から、様々な訳者で。ある本は、挿絵が葉祥明さんによるものだったり、池澤夏樹さんが訳していたりするものもあった。
私の中でやはり馴染みがあるのは、子供の頃から家にあった、内藤濯さん訳の岩波から出ているものだ。
ドリアン助川さんの訳は、かなりわかりやすく配慮されていたように思う。少し比べてみた。
(内藤濯 訳)→ (ドリアン助川 訳)
飼いならす → なつく
仲よくなる → 心を寄せる
ウワバミ → ボアという大きなヘビ
ドリアン助川さんの訳の、“心を寄せる”という言葉はとても心に残った。この素晴らしい訳も手伝って、物語全体のキーワードになっていた。ただ、何となくイメージとしてあった『星の王子さま』と、少し全体的に違っていた。子供の頃から何度となく耳に、目にしていた内藤さんの訳が、自分の中でそのまま、『星の王子さま』となっていたからだろう。
岩波版の訳者あとがきに興味深いことが書かれていた。
『平安朝の物語文学や日記文学には、もともと今日の句読点などというものがなかったのでした。というのは、言葉を生かす道が、読む人それぞれの息づかいにあるというしかとした自覚があったからで、私はふつつかながら、この日本語訳でそういう言葉の本道をねらったつもりです。』内藤濯
ドリアン助川さんの訳は一文が短く、理解しやすく、より直接的な印象を受ける。一方、内藤濯さんの訳は、やや一文が長めで、時代の違いもあり、文語調で佇まいに品がある。
ちなみに、この本の巻末には、ドリアン助川さんによるあとがきもあり、彼による写真サン=テグジュペリの像の写真などもある。
他の訳者のものもじっくりと読んでみたい。訳によってどれほど印象が変わるのか、楽しみだ。原文もトライするかな…
- 感想投稿日 : 2024年2月18日
- 読了日 : 2024年2月18日
- 本棚登録日 : 2024年1月21日
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