堕落の文学というから町田康に似ているのかしらと思ってなんとなく町田康の夫婦茶碗を読んでから読んでみたのだが、全然違った。
うるおいと殺伐。
余裕と緊迫。
音楽と無音。
笑いと仏頂面。
行動と傍観。
客観と主観。
うまく表現出来ないけれど堕落の全く別の側面を描いているような感じ。
町田康は圧倒的なハッピーを装っているし、笑けるのに、だからこそ余計狂気的。なける。あんなに堕落してるのに、この時間がずっと続いて欲しいと思ってしまう。
西村賢太は共感の余地があって徹底したリアリズム。どの登場人物もそれぞれ十色の凡庸で、肯定も否定もなく、とてもフラットなままでいられる。
だけどこの二つは逆ではないし、あまり対比する感じではないのかもしれない。だって、どちらもとってもさらっとしていて、全然どろどろしていない。ありのままにやったらこうなったという点は、なんだか似ているようにも見えなくもない。
そもそも本同士を比べるということにどれだけ価値があるのかわからないが、両者の特徴を知るためにあえて考えてみた。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2013年2月1日
- 読了日 : 2013年2月1日
- 本棚登録日 : 2013年2月1日
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