色々とあるが、とりあえず上巻の中で印象に残ったのは「日没」という章で、一章まるっと空の描写をしている箇所。
二度と同じ空はない、とそれらしい言葉でいうのは簡単かもしれないけど、この「らしい」がいつでもくせ者。
らしさなんて、くだらないのです。
主観に基づいた客観。
記憶と記録の狭間。
謙虚も傲慢も超えた目。
言葉の豊穣さや観察力はもちろんのこと、それらを包括する「言葉の態度」のようなものに感銘を受けるのですが、定義づけようとするとスルリとすり抜けてしまうような、揺らぎやすい一点にその態度は一貫しているように思える。
360度、すべて空である船の上で、太陽が落ちて行く様をひたすら見つめ言葉にしている。
ただそれだけといえばそれだけなのだけども、
例えば、「ああ、自分は世界が夜に変わる姿を目の当たりにしている」みたいな感傷が全然なくて、
しかも、「私の目は今やすべてを捉えられるような気がする」みたいな誇張もなくて、
少し目を離しただけで変わりゆく空の速度そのものを代弁しているみたい、というのかな。
むしろ作者が速度そのものを演じているみたい。
それは作者の言葉を借りれば「活人画」化しているということになるのかもしれない。
過剰な意味を与える(すなわち同時に本来の意味を奪う)ことをせず、だからといって不必要に形式張って、間違いのないように記録しようみたいなフラットな感じでもない。
自然な凹凸。
それは、主観になる前の姿なのかもしれない。
その、直感のようなものを、主観が邪魔する前にすぐ言葉にしちゃう。
そのスピード感の繰り返し?
二度と同じ空がないように、その空を見た自分は二度と同じ直感と思考を得る事はないはずなのだ。
その微妙で確かな差異に挑戦している感じがした。
- 感想投稿日 : 2014年5月7日
- 読了日 : 2014年4月20日
- 本棚登録日 : 2014年5月6日
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