671年、天智天皇の後継をめぐる大海人皇子と大友皇子との対立は武力衝突に発展。壬申の乱と呼ばれる古代史最大の内戦だ。戦いは多くの豪族たちの支持を受け、能力に優れる大海人皇子が大友皇子を圧倒したというのが教科書的解説。
しかし、その解説のもとになっている多くは勝者、大海人皇子側が残した書物によるもの。本当に勝者側に正義はあったのか、大友皇子は父のゴリ押しで後継となったのか。最新の研究で、壬申の乱を見直す。
天智天皇は弟、大海人皇子の協力を得て、妻を女帝に推したかったらしい。大友皇子は単なるその中継ぎだった。しかし、大海人皇子は野心を隠し、都から離れて隠居しつつ、王位就任のチャンスをうかがう。そして、天智天皇の死後、準備を重ねて壬申の乱を起こした。というのが、著者の主張。
この主張が事実かはさておき、面白かったのは王位をめぐる争いは過去にもあったのに、なぜ壬申の乱だけ大規模な軍事衝突になったのかということ。乱の直前、天智天皇の名により日本最初の戸籍、庚午年籍が作られ、兵役を課せる民衆の数を正確に把握できるようになっていた。そのため、両軍は大量の兵士を調達することができたのがその理由。
国民の福祉のための行いが反乱を大規模化させたというのは、なんとも皮肉だが、政治や技術の進歩が戦争を深刻にするというのは現代でも同じだ。
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カテゴリ:
歴史モノ
- 感想投稿日 : 2019年6月9日
- 読了日 : 2019年6月9日
- 本棚登録日 : 2019年6月9日
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