ふー読み終わった。マラソンを完走したような富士山に登ったような、「やりきることに意味がある」状態になっていた。
非常に評価が高い本作、2段組で800ページ、厚みが5センチ、原書は1,000ページを超えるという大著であり、読む人を選ぶ。しかもリーダブルではない、難しい。読むのが愉しいとかぐいぐい読めるとかでもない。楽しんで読んだとはとても言えない。ただ、このスケール感と巨大さは稀有。ドストエフスキー的な総合文学といおうか、歴史に残る文学ではないか。読み終った者だけが味わえる充実感がある。
「2666」は何についての話なのか?複数のプロットが並走し、多量の人物が登場する。アルチンボルディ研究者達の恋物語(読みやすい)、デュシャンのレディメイドを実践する男(難解)、殺人事件に興味を持つジャーナリスト、連続殺人事件(カタログのようにレイプ殺人とその他の殺人がずらりと並べられるグロテスクなドラマ)、アルチンボルディの人生(細密な戦争描写)・・・
これらのばらばらのプロットがひとつの核に向かって大きく収斂していくのかといえば、そうでもない。アルチンボルディのメキシコ行きなど一部の輪は閉じられるものの、多くの枝葉は外に伸び行くままだ。また、後書きで比較されている白鯨のごとく、内包されたエピソードが独自に発達していく。ひたすら「読む」「読み込む」ことを読者に求める。
たまねぎの皮をむくように、「核」に目を凝らしても、そこには空白がある。しかしここで繰り広げられている膨大な「読み物」の間を彷徨いながら壮大な世界を旅するべし。
いやしかし、私はその境地には到底到達できなかった。再読しなくてはいけないのだろうが、富士山にもう一同登るモティベーションがまだ起きないように、容易ではない。
- 感想投稿日 : 2015年6月18日
- 読了日 : 2013年4月18日
- 本棚登録日 : 2015年6月18日
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