分解する

  • 作品社 (2016年6月20日発売)
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感想 : 18
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『でももちろん、すべての答えを合わせれば、それが正しい答えになるのかもしれない。もしこんな問いに正しい答えが本当にあるのなら』―『私に関するいくつかの好ましくない点』

リディア・デイヴィスは日常に潜み通常は表に出てくることのない非日常性を言葉に変換する。変換されなければ気にも止めなかった筈の一風変わった思念は、言葉によって形を与えられこちらの日常にずかずかと、あるいはするすると侵入して来る。侵食され情緒不安定な状態に追い込まれることは妙に心地よい。誰の頭の中にだって多少変な妄想や思い込みはあるとは思うけれど、それは意識の片隅にも昇らないまま霧散する類いの、あるいは慌てて頭から振り払う類いのこと。それが形になることで返ってきれいさっぱりと処分されたような心持ちになるのかも知れない。もちろんそんな泡沫のような想いを書き留めるには、常に不安定な自己とそれを冷静に見つめる自己の二つの立場を取り続けなければならない。そんな状態をリディア・デイヴィスは、怒っている時も泣いている時も常に保持しているかのようだ。頓珍漢な話だが、頭の片隅で芸の為なら女房も云々という古い歌がかかる。

リディア・デイヴィスは「話の終わり」以来、岸本佐知子による翻訳をいつも楽しみに待っている作家だ。訳出は前後したが、この実質的なデビュー作で改めて既に存分に「らしさ」が表れていることが再確認出来る。この日常の中の非日常を掬い上げる感じは、柴崎友香の特に初期の作品を連想させもするけれど、柴崎友香が常に変わり続ける景色を優れた動体視力で掴み取るのに対して、リディア・デイヴィスの目に映る景色はほとんど動かない。動かないからこそ、そこに重ね合わせる、展開し得たかも知れないことを次々と思い浮かべ、それを漏れなく書き付ける。そしてありとあらゆることが起こり得たかも知れない可能性に満ちた世界を、少しばかり哀愁を帯びた調子で語る。言ってみればアイロニカルで、きっとへそ曲がりな人に受ける作家なのかなとも思う。もちろん自分も天邪鬼なのでいつも新刊を心待ちにしているのだけれど。

言葉は放たれた途端に輪郭がぼやけ、文脈の中に吸収されて行く定めと思うのだが、リディア・デイヴィスの言葉は常に硬質で輪郭を失うことがない。袖でこすったり雨に濡れたりしてもぼやけることはなく、発した側の想いは種々あれども定まっている。たとえ、何も決められない人物が描かれていたとしても、その定まった感じは揺るがない。そんな印象の中で少しばかり異質なのは、時々登場するポール・オースターを連想する人物にまつわる話。そこでは言葉そのものが常に行く先を迷っている印象を受ける。もちろん、この有名な元夫婦の読者としては誰でもが抱く、少々下世話な興味による想像なのだと自らを戒めて読むのだけれど、その過去と現在がない混ぜになった感情には、今尚くすぶる何かがあるのかとすら思わせる迷いがあるように思う。もっともそれすら作品に描き起こすタフさには感服するのだけれど。そして相変わらず岸本さんの翻訳はいいね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年10月19日
読了日 : -
本棚登録日 : 2016年10月19日

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