チャパーエフと空虚

  • 群像社 (2007年4月1日発売)
3.92
  • (15)
  • (9)
  • (10)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 181
感想 : 12
5

ここであって、ここでない場所。夢であって、夢でない夢。自分という存在のあやしさに気付くことから湧き上がる問題は、多感な年代を過ごす者には誰にでも襲いかかる問題だろうけれど、それはまた、いつの間にか問題でなくなる(あるは問題であることを忘れてしまう)問題でもある。

それは、問い、に対して答えが与えられるからではなく、明確な答えが存在しないことが解ってしまうからであるのだが、問題が忘れ去られてしまうのは、問いだけを立て続けることが困難であることを端的に表している。そこを超えて行くとどうなるのか。ここに描かれているのは、そんな困難な問いをどこまでも追い続けていくと何が見えてくるのか、ということに対する一つの提示であるように思う。

但し、それはやっぱりそれは、答え、ではない。そもそも、ありとあらゆる答えというものは、たかだかplausibleであることがせいぜいなのであるから、この「自分という存在のあやしさ」についての答えだけが明確でないと声高に言うことでもないのかも知れないが、自らの存在の不確実性に目をつぶることができたとしても、他人という存在が実在のものであるのかどうか、という次の問いが既に見えている。それはとても厄介で、できれば避けて通りたい問題であり、問いをそもそも最初からなかったことにしてしまいたいという気持ちになったとしても仕方がないだろうとも思う。

例えば、誰しも一度は、他人の存在が自分の妄想ではないか、という疑問と向き合ったことがあるだろう。自分が認識している他人は(この際、そもそも全ての現実はそれが脳という空間の中で再構築されている像であるのだから実在は確認しようがない、という線での疑問はひとまず置くとしても)本当に自分の妄想ではないと言いきれるかどうか。そこで立ち止まってしまうと、あたかも真っ暗な空間の中で、わずかに自分の足元を照らすだけの懐中電灯を抱えて途方に暮れている存在であるように、自分が見えてくる。それはとてつもない恐怖と寄る辺なさを伴う感覚である。

それだけでも既に十分怖いのに、本書はその恐怖を更に凌駕する恐怖を読む者に突きつける。それは、自分の足元を照らしているものと、暗闇の中にあるものとの間はどれだけ地続きであるのか、と疑うことによって生じる恐怖である。それはエキサイティングであり、かつ、猛烈な敗北感にも苛まれる、恐怖である。

本書のラストで提示されるもの、それはそんな気分から読者を多少なりとも吸い出す光明のようにも見えるのだが、それは決して問題が問題でなくなったことを意味しない。恐怖はどこまでも続く。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2009年11月24日
読了日 : 2009年11月24日
本棚登録日 : 2009年11月24日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする