暇と退屈の倫理学

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  • 朝日出版社 (2011年10月18日発売)
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暇と退屈の倫理学 第一章

パスカル

 見事な分析


人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために怒る。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

=みじめ(ミゼール)

ウサギ狩りをする人は気晴らしをしたいだけなのに自分はウサギが欲しいと思い込んでいる

 気晴らしには熱中できることが必要だ

そしてそれを指摘する人も気晴らしをしているだけにすぎない

 →じゃあどうすれば?

神への信仰によって救われる!

→人間は負の要素=苦しみを求めるのか? 気晴らしには苦しみや負荷が必要なのか?

(自分のコントローラブル(うまくやった感)があればいいんじゃない?)

ニーチェ

 数百万人のヨーロッパの若者は退屈に苦しんでいる

 →苦しみを求める →苦しみの中から自分の行動の理由を求めたい

レオ・シュトラウス

 ナチズムについて

 近代主義と共産主義の狭間で、若者たちは緊張と真剣の中にある生を求めた

ラッセル『幸福論』

食と住に不自由しない20世紀の現代人 の不幸 日常的な不幸

 その理由は?

 ハイデガーも同時期に同じことを言っていた

「退屈とは事件への期待が打ち砕かれた状態である」

(事件であれば不幸でもいい)

「退屈の反対は快楽ではなく興奮である」

人は楽しいことなど求めていない

そして、楽しいことを求めることができる人が幸福である

熱意を持って取り組むことができる対象があれば幸福である

 →解決策:興味をできるかぎり幅広くせよ!

でもそれは戦争とかにつながらないか?

 不幸への憧れを生み出すような倫理学は良くない。

スヴェンセン『退屈の小さな哲学』

「退屈が人々の悩み事となったのはロマン主義のせいだ」

「ロマン主義者は人生の充実を求める」

近代以前、共同体が生き方を決めてくれていた

 →解決策:ロマン主義的な個の追求を諦めること そんなものはないのだから



疑問点

・「諦める」って解決になってなくない?

・ロマン主義的以外の退屈もあるんじゃないか?

暇と退屈の倫理学



序章

ラッセル

 「いまの西欧諸国の若者たちは不幸だ」

 社会を豊かにすると人は不幸になるのか? おかしくない?

豊かになると人は何をする?

 それも消費社会にコントロールされてない?

ガルブレイス

 広告が人の欲望を形作る

  そもそも人は固有の欲望なんて持っているのか?

アドルノとホルクハイマー

 文化産業についての研究

 消費者の感性があらかじめ制作プロダクションのうちに先取りされている

 人間はカント的な主体性(火を熱いと感じるような)を持っていない

  あらかじめ受け取られ方の決められたものが差し出されている

資本主義で人々は裕福になったが自分では何をしたらいいかわからない

そこに資本主義がつけこむ

労働者の暇が搾取されている

暇のなかでいかに生きるべきか

退屈とどう向き合うべきか

モリス

 生活はバラで飾られる必要がある

(みんなそんなに広告に騙されるほど馬鹿なのか?

 人は自分で選んでいるという錯覚を持つ必要がある)

ジュパンチッチ

 大義に人は誘惑される



1

パスカル

ラッセル

2

定住革命

3

ヴェブレン

4

ルソー

マルクス

アレント

5

ハイデガー

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年5月23日
読了日 : 2020年5月23日
本棚登録日 : 2020年5月23日

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