環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y 30)

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  • 洋泉社 (2001年5月1日発売)
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きわめて興味深い本だった。新書で、しかも三人の学者の鼎談による本で内容がこれほど刺激的で充実しているとはちょっと信じられないほどだ。著者のひとり安田喜憲の本については、このブログでもしばしば取り上げ、影響も強く受けてきた。彼はあとがきで、「今まで自分ひとりで考えていたアイディアが、鼎談によって何倍にもふくらみ、自分が思ってもみなかったまったく新しい世界が開け」たと語っているが、この本は文字通りそのような豊かな展開と深い洞察にあふれ、何冊かの分厚い専門書を読んだような読後感がある。

ここでは、ムギ作とコメ作の文明を環境変化の視点をふまえてこの本がどのように論じているかを紹介しよう。

四大文明はムギ作を基盤とした文明であった。そのため、これまでの世界史はムギ作を中心に描かれ、コメの文明は不当に扱われる傾向があった。ムギはコメに比べ生産性が低いので多くは牧畜を伴う。しかし近年、中国文明の源流は黄河流域ではなく長江流域にあったのではないかという説が注目されている。そして、長江文明は、牧畜を伴わない稲作文明であり、森の文明であった。

日本史の通説では、弥生文化は朝鮮半島経由で大量の人々が日本列島に渡来したときに始まるとされていた。そうであれば、当然家畜を伴っていたはずなのに実際はそうではなかった。とすれば弥生文化の基本を作ったのは長江からやってきた越人である可能性も高い。

どちらにせよ弥生人が牧畜を持ち込まなかった、ないしは縄文人が牧畜を取り込まなかったことは、日本文化のその後の性格に大きな影響を与えた。牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、ユーラシア大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

また天水農業によるムギ作は、かなり粗放的なので、奴隷に行わせることもできた。しかし稲作は、いつ何をするかの時間管理に緻密さが要求され、集約的なので、奴隷に任せることができない。稲作文明で大規模な奴隷制が発生した例は見られない。さらに、家畜管理の技術と奴隷管理の技術は連続的なものだったろうから、稲作・魚介型で牧畜を行わなかった日本では、奴隷制が発生しにくかったのではないか。

さらにムギ作は、天水農業の下では個人の欲望を解放する傾向をもつという。水に支配される度合が少なく、自分が所有する土地を好きなように耕作できるからだ。一方稲作は、水の管理が重要で、共同体に属して協調しないと農耕がしにくい。その分、個人の欲望は解放しにくいわけだ。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し、どのような特徴をもったのだろうか。

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ☆日本文化論
感想投稿日 : 2012年4月20日
読了日 : 2012年4月20日
本棚登録日 : 2012年4月20日

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