レビューが長くなったので、本書の評価を低くした理由を端的にまとめておく。それは「内容が薄い」&「分析が甘い」から。
本書は「食糧自給率が低いことは問題だ。誰もが自国を優先するのだから「いざ」というとき日本は飢える」と繰り返しかかれている。そして、その危機意識が薄いのだと何度も批判する。
まあ、最もだ。
だが、その「最もで正しいこと」に対してそれだけに100%の力をそそぐことはできない。財政にも制限がある。
「人命が一番大切」である一方で、年間3,000人弱が交通事故で死ぬけれど、経済や生活のために自動車を規制しないように。
自給率が低いこと自体をどんなに叫んでも、「そうですねー」としか言いようがなく、自給率が何%だとどれだけ危険で、どこまで対応が必要かという具体論に踏み込まなければ意味がないと思う。
そして本書は、他の書籍と同様、そこまで踏み込んでいないので、価値が低いと感じる。
また、全体的に数値的な根拠が薄く、分析・考察が甘い。
著者の考察が甘い、分析が具体的ではない、と感じる点を下記3点あげるておく(下記3点以外も分析が甘いと感じる内容であるが)。
1.戦後の米離れと洋食のおしつけ論
戦後、米国でだぶついていた小麦や脱脂粉乳を輸出するために給食で洋食をごり押しした。従来の日本食では知能は育たないなどの、根拠のない本を大学教授の名前で出しかなり出回った。などなど。
戦後そのような言説が流布しており、米国の押しつけで洋食化が広まったことは否定はしないが……それが現代の米あまりと結びつけるのは無理があるのではないだろうか。
日本食では知性が育たないなどという論は今では信じる人はいないし、グローバル化し金持ちになれば、肉食が増えることは統計的な事実だ。
せいぜい米国の政策でそれが早まったレベルだろう。
「米の需要が減った」……そういうと、パンや麺など小麦の消費が増えたからだという印象が一般にあるのではないだろうか?
著者も明言はしないが、その前提で論がすすむように読み取れる。けれど、実際は違う。
そもそも米を戦後に比べて現在食べないのは、「食生活が豊富になったことと(主食以外の食品の割合の増加)」と「高齢化」。この2点が大きい。
具体的に米の消費量を見ると、ひとりあたりの米の消費量が多かったときは、1962年で、118.3kg/人/年で1日324g(炊飯後754g)だ。そして2022年は50.7kg/人/年で1日139g(炊飯後320g)だ。
これを茶碗で換算するとピークの1962年は1人あたり1日茶碗4杯(やや大盛)で、今は1日1人2杯(小盛)といったところ。
現在の1日1人小盛2杯……これは寝たきりの老人から赤子までを含めた平均だ。
単純に戦後高齢者が少なく、働き盛りが多かった戦後と比較し米の消費量が落ちたことは、現在の年齢構成をみれば当然だ(1965年の65歳以上は6.3%に対し令和2年は28.9%が65歳以上)。
そして戦後の弁当を思い浮かべてほしい。真っ白なお米を敷き詰めて真ん中に梅干し。日の丸弁当。おかずがはしっこにちょぴっと。……いやー、今はこんな弁当食べる人、いないでしょう。
食卓の半分以上がおかずの方が一般的ではないだろうか。
宮沢賢治の「アメニモマケズ」では質素な食事の例として1日4合とうたっているが、今の時代でこれを聞くと結構驚く。昔と今とで日常の食の中で米の占める割合が異なるから。
本書の著者は言う。日本食の需要を増やす施策が大事だと。
それはわかる。大事だよね……でも、昔のようなおかず少量、米中心の生活に戻れる? 自分は無理だよ。
どんなに自給率が大切だとか日本食が大事って言っても1日平均4杯……いや、赤子でも高齢者でもない自分の世代の平均は1日平均で5杯くらい……?たまにパンを食べたりすることを考えると1日6杯ごはんを食べる日もあるのか……など考えていると、うーん、自分は絶対に無理だなあ、と。
1日1人茶碗2杯。働き盛りでご飯の消費が多い自分の世代だと1日2.5杯くらいかになるのだろうか。1日3食で、ランチで麺や惣菜パンを食べる人もいて平均でこれ、と考えれば、この数値……なかなか米の消費を維持できている方では?
これ以上米の消費をあげるなら、本当になにか大きな変革をしなければ無理ではないでしょうか(それこそ米価8割は国が補助するレベルの)。
まあ、そういった現状分析を本書ではなされておらず、戦後の政策がどうの、需要をあげる政策がどうのと言っていますが、戦後の政策でこのような米あまりの現状ができたという結論は無理があるし、意識改革とかちょっとした政策で、これ以上米の消費をあげるのは難しいんではないという感想。
もう少し数値をつかって具体的な方策を示してほしいものである。
2.ひろゆき氏の自給率意味なし論への反論
2ch創設者が「自給率は向上が大切論者」は理論的な説明ができていない、自給率は欺瞞、という主張に対し、著者はいざというとき「飢える」ということがどんなに危険か、そのためにカロリーベースの自給率がどんなに大切な指標かを説いていた。
で、そのひろゆき氏の主張を見てみると、「そもそもカロリーベースの自給率の無駄さを主張しているのは世界的に見ると日本と韓国などごく一部の地域でしか使われていない。そんな指標など無駄」「野菜などカロリーが低いものをどんなに自給率をあげても貢献しない」などというものがあり、確かにそれへの反論は著者の主張でできるかもしれない。
けれど、ひろゆき氏の主張には、「どうせ戦争になれば機械を動かす燃料も入ってこないのに、現在の生産体制が前提の自給率を計算してそれを上げることに意味があるのか」というものもある。それに対しては一切反論せず、「いざというとき飢えるからカロリーベースの自給率は大切」という反論のごり押しはどうかと思う。
少なくとも、相手の意見を採り上げて反論するなら、相手の意見をも、う少しきちんと採り上げるべきだ。
本書にはひろゆき氏の主張はごく一部の抜粋しかしておらず、そこからも著者の分析・討論する姿勢を疑ってしまった。
3.種苗法と種の確保についての問題
種苗法と自家採種についてとりあげているが、著者の言う「いざというときに飢えないために日本の種を確保すべき」という理論であるならば、「主要農作物種子法」の廃止についてとりあげるべきだ。
種子法は、日本にとって米・麦・大豆は重要でその種子を確保する責任を国が負うというもの。それを廃止したのだ。
これこそ著者の主張ど真ん中の出来事である。
けれど、それについははふれない。
種子法の廃止は突然国会で取り上げられて、とくに話題になることも議論されることもなく、数ヶ月でさーっと廃止案が可決された。
世間で話題にならなかったから、あまり著者も意識していないのだろうか?
(結局、この状況はよろしくないと判断した各都道府県が条例をつくって各県で種子の確保を行うようになったので、大問題に発展はしなかったが……これこそ国が対応する問題だろうに)
他にも、遺伝操作の食物=危険でとくに根拠も示さず論を展開したり、日本の農薬問題に必須の、湿気と虫が発生しやすい気候状況にふれなかったり、最初から最後まで、主張は表面的で、そして分析があまいと感じた。
- 感想投稿日 : 2023年5月29日
- 読了日 : 2023年5月28日
- 本棚登録日 : 2023年5月28日
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