日の名残り (ハヤカワepi文庫 イ 1-1)

  • 早川書房 (2001年5月31日発売)
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舞台は1956年のイギリス。
主人公は大きなお邸の有能な執事として働いてきた初老のスティーブンスである。
世は変わり、現在の主人はアメリカ人富豪だ。
主人の好意で短い休暇をもらったスティーブンスは、かつてともに働いていたミセス・ベンを訪ねる旅に出る。人手の足りないお邸にもう一度勤めてはくれないかという淡い期待があってのことだったが、それはただの事務的な思いだけではなかった。
車での旅の途中、スティーブンスはお邸の華やかなりし頃を思い出す。
ミセス・ベンの住むコーンウォールへの旅は、彼の過去への旅でもあった。

彼が長年仕えた英国貴族のダーリントン卿は、紳士の中の紳士だった。優れた名士に仕えることをスティーブンスは誇りに思ってきた。最高の執事に何より必要なのは「品格」だと信じ、その道を極めるために日々、勤めに励んでいた。
けれどもダーリントン卿は、ナチスへの協力者として、戦後、批判にさらされ、失意のうちに世を去る。
スティーブンスの一生とは、ある意味、まがい物に身を捧げたがために、身近にいた女性の好意に応えることもなく、ささやかな家庭的幸せも逃してしまった人生だったのだ。

この物語は本質的に、身を捧げたものに裏切られる悲劇である。
だがそれを、英国の美しい風景と、シニカルだがなお温かいジョークに包んだところに、イシグロの「優しさ」を見る。
朴念仁のミスター・スティーブンスに、ミス・ケントン(あるいはミセス・ベン)が魅かれた理由は、案外、職業上の完璧さに滲む、「哀しいかわいらしさ」にあったのかもしれない。執事としての自分を崩すことはできない。けれども時折、人としての芯が覗くのだ。

「品格」とは何か。作中でスティーブンス自身も論じているが、これはなかなか難しい。
「信じたもの」に身を奉じること自体の崇高さ。それこそが「品格」であるのかもしれない。あるいはそれが虚像に過ぎなかったとしても。
スティーブンスが追い求めた理想は、いささか「時代遅れ」であったのだろう。だが残光の中できらめくその輝きは忘れがたい印象を残す。

イシグロはふわりと比喩で語る作家ではないかと思う。
彼が書く「執事」的なるものは、実は多くの人が抱えるものなのではないか。理想に燃え、それに身を投じる。だがそれはどれほど確固たるものなのか。一度は信じたものに、ひとは時に裏切られる。輝かしいはずの理想のメッキは、時に剥げる。そうなったときに、ひとはどうするか。
それでもなお保てる「品格」はそこにあるか。

お邸の輝く日々は戻らない。自らの青春もまた戻らない。旅の終わりにスティーブンスは痛いほどそのことを知る。
だが彼は執事であることをやめない。
それどころか、新しい主人に沿うべく、「アメリカンジョーク」を学ぼうとするのだ。絶望的にセンスがないにも関わらず。
その真摯さの哀しいおかしさ。それでいてはっとするような強さ。

日の暮れ方、光が闇に呑まれる前のほんのひととき。それは作中人物が言うように、1日でいちばんの時間なのかもしれない。あまりに短い、あまりにはかないひととき。
だがそのはかなさのゆえに、それは美しいのかもしれない

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2018年6月20日
読了日 : 2018年6月20日
本棚登録日 : 2018年6月20日

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