<神仏習合の痕跡を訪ねる旅>
日本には古来、土着的な信仰がある。古くからの神が祀られていたところに、仏を祀る「寺」が出来ていく。やがて、日本の神は仏教の仏が衆生を救うために現れたとする「本地垂迹」思想が生まれていく。
明治維新に「神仏分離」が行われ、甚だしきは「廃仏毀釈」に到った。
寺のあった場所に元々あった土着の信仰の痕跡もわかりにくくなってしまった。
著者は各地の十一面観音を訪ね歩き、主に「治水」の観点から、古の人々の祈りに耳を澄ませている。
本書で大きく取り扱われているのは、長谷寺系の十一面観音である。十一面観音は通常、左手に紅蓮を挿した花瓶、右手に数珠を持つが、長谷寺系列のものは、多くが数珠の代わりに錫杖を持つ。
各地に「長谷」と冠する寺は数多いが、水を求め、水と闘う様相が濃いものが多いという。錫杖は水脈を訪ねて歩く姿かもしれず、また水脈のある場所に生えた木を連想させるものかもしれない。
十一面観音は、白山神社や洞窟・岩場ともまた関わりが深いとされる。
洪水で母を失ったという円空も十一面観音を作っている。
水難に苦しむ地域で生まれ育った二宮尊徳は、厚い観音信仰を持っていたという。
論理的にかっちりと説を作っていくというよりも、痕跡を訪ね、見つめていくような本である。
タイトルからも窺い知れるように、東日本大震災が本書執筆の1つの契機にはなっているが、特に、三陸海岸のみに注目したわけではないし、防災の観点を強く語るというわけでもない。
現在の寺の向こう側に古代の信仰や祈りが見えてくるような、そんな作りになっている。
*白州正子や西郷正綱の著作がところどころで引用され、なかなか興味深い。
- 感想投稿日 : 2014年1月15日
- 読了日 : 2014年1月15日
- 本棚登録日 : 2013年12月1日
みんなの感想をみる