戦争は女の顔をしていない

  • 群像社 (2008年7月1日発売)
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第二次大戦時、ソ連では100万を超える女性たちが従軍した。それに加えて、パルチザン部隊や非合法の抵抗運動に参加した女性もいた。看護師や医師のほかにも、戦闘員として戦ったものも少なくなかった。その多くは、戦地では男性と変わらぬ任務に就き、同じように傷を負った。それもこれも「祖国のため」「大義のため」だった。けれど、戦後は「男ばかりの戦地で何をしていたのか」と侮辱の目に晒され、あるいは結婚することを諦め、あるいは勲章をしまい込み、あるいは従軍経験をひた隠しにして生きていた。

男性が証言した戦争の記録は少なくない。しかし、女性の、しかも戦争従事者としての証言は非常に珍しいのではないか。多くの女性が従軍したというソ連の特殊な事情もあるだろうが、著者、アレクシエーヴィチの丹念で粘り強い聞き取りがなければ、こうした証言が日の目を見ることはなかっただろう。
本作を最初に構想した1978年、アレクシエーヴィチは30歳代だった。証言者らは著者の母や祖母の年代になる。彼女らは、娘に、孫に語るように、戦争のナマの姿を語る。
それは戦略や兵站の話ではない。生身の人間が戦闘に参加するとはどういうことか、肌感覚の話である。
戦争は女の顔をしていない。女もまた、戦争に行くことを想定して育てられてきてはいなかった。そのためかどうか、彼女らは、日常のふとした小さな出来事に目を留めるかのように、繊細なまなざしで、戦場の過酷な現実を記憶する。
血で固まり、手が切れるほど硬くごわついた衣服。
死にゆく前に決まって天井を見つめる重傷者。
泥だらけで死んでしまった仲間の娘たち。
殺さなければ殺される白兵戦のすさまじさ。
飢饉に見舞われ、満足に食べるものもない地でのパルチザン活動。
1つ1つ、1人1人の証言が重い。
歴史の教科書には残らないような、些細な部分。誰も聞かなかった細部。証言者が最も隠したかった、同時に最も語りたかったエピソード。
そうしたそっと触らなければ痛みを伴うところに、アレクシエーヴィチは迫っていくのだ。
それは人間の「人間らしさ」を形作る部分なのかもしれない。

ある女性は、ある村で、無残にいたぶられた多くのパルチザンの遺体を目撃する。死体が転がる傍らで、馬が草を喰む。
「生き物の見ている前で何という恐ろしいことをしたんだろう」

平時ならばありえない風景は怖ろしいまでの絶望を誘う。それはまさに地獄なのだ。
戦闘員は完全な被害者とは言えない。だが同時に、彼らは完全な加害者とも言えなかったのではないか。

戦争は終わった。スターリンの時代も過去だ。
もう何を語ってもよいはずだ。
けれど、恐怖は残る。彼女たちは沈黙し、あるいは名字を伏せるように請う。自分のためというよりも、子どもたちに害が及ばぬように。

おそらくはもう、これらの証言者たちの多くはこの世にはいない。
けれど、著者がすくい上げたこれらの証言は残る。
彼女たちが、娘のために、孫のために、いや、もしかしたら、戦争に出かける前の自分自身に伝えたかったであろう、切実な慟哭がずしりと残る。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 戦争
感想投稿日 : 2016年12月15日
読了日 : 2016年12月15日
本棚登録日 : 2016年12月15日

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