『生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。』
時は第二次世界大戦、ドイツ。
この本の舞台は、悪名高き負の世界遺産、アウシュビッツではなく、著者であるフランクルが収容された小規模の収容所での出来事だ。
だが、こうした支所こそが、より殺戮が繰り返された“絶滅”収容所であったという冒頭に語られる事実には、思わず背筋が凍る。
淡々と語られる収容所での非現実的な強制労働。
自分だったらどうするかの、枠組みを超えた恐怖は、想像力では測り知ることのできない。だからこそ、読み手も目を背けてはならないのだと思う。
フランクルは、それでも自らを含む、強制労働を強いられる人々を観察し続け、なんとか紙を調達し、速記で記録を残し続けた。おそらく書き綴りきれなかった悲惨な出来事も多くあったのだろう。
そして、収容所から解放された後も、あまりにも自由から置き去りにされ続けた(フランクルを含めた)彼らは、その事実を咀嚼することができず、まるで夢の中にいるような気にさらされる。
あまりにも長く、終わりが見えない極限状態。
生き延びることのできた彼らにあった共通点とは何か。
そして、もっと深い題材。「生きること」とは何かに関する答え。それが冒頭に挙げた言葉である。
視覚に依存して見る世界のありようは、どうしても自分中心の考えからは逃れられないように思える。しかし、世界は自分中心ではなく、生きることとは、置かれた環境から導き出される課題によってどう自分が考え、そして行動するかによって決まるのだ。そしてその答えを他人に求めてはならない。そして、自ら考え抜いた答えは、たとえ強制収容所に置かれても、周りから変えられることはできないのだ。
- 感想投稿日 : 2020年3月22日
- 読了日 : 2020年3月22日
- 本棚登録日 : 2020年3月16日
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