宮下奈都の『よろこびの歌』がよかったので、何か読んでみたいと、図書館で別の小説を借りてきてみた。短編集らしい。
せかせかとは読めなくて、ゆっくりゆっくり、数日かけて読む。巻頭の「アンデスの声」と、なかほどの「ミルクティー」が、とくによかった。
そして、本が終わりに近づくにつれて、あれ、たしかこの人は、前の話に出てきたな…ということに、ちらほらと気づき、しまいまで読み終えて、もう一度またてっぺんから読んでいると、やはり、それぞれの収録作は、ひょいと、別の話に出てきた人物があらわれたりして、ゆるーくつながった連作のようでもあった。
カバーと、それぞれの話の扉につかわれている、網中いづるさんという人の装画もよくて、この人の絵を見てみたいなと思った。扉の絵はおそらくもとはカラーのものが、モノクロで、しかも小さく切り取ってつかわれているのだが、その小さく配された絵は、それぞれの話とゆるく響きあっているように思えた。
「ミルクティー」で、真夏とみのりが交わす、こんな会話。
▼私が飲みたいのはいつもコーヒーで、みのりは紅茶だった。
「どうしてもコーヒーじゃなきゃ嫌だってわけでもないんだけど」
私がいうと、みのりはコーヒー豆を挽きながらこちらへすいっと顔を向けた。
「仕事で煮詰まってるときなんか、一杯の熱いコーヒーに救われることがあるんだ。目が覚めるっていうか、さあもうひと息がんばろうって思えるっていうか。でも、紅茶は、飲んでしみじみおいしいと思ったことってないな」
「なんとなく、わかるよ。真夏はコーヒー向き。コーヒーって、これからのための飲みものって感じがするもの」
またみのりがおかしなことをいっている。そう思って、尋ねた。
「じゃあ、紅茶はどうなの、何のための飲みものなの」
すると彼女は少し考えるふうになり、ミルを回す手を止めた。
「紅茶は、どちらかというと、振り返るための飲みものなんじゃないかなあ。何かをひとつ終えた後に、それをゆっくり楽しむのが紅茶」(p.182)
どっちかというと、コーヒーを飲む私は、こんな会話を読みながら、ミルクティーが飲みたくなった。ミルクティーを飲んで、この一冊の本のことを、ゆっくり振り返りたいと思った。
巻頭の「アンデスの声」は、年に二回、お盆とお正月にしか休まず、毎日まいにち田畑の仕事に精を出す祖父母、地元からほとんど出たことがないという祖父母を、どこかかわいそうに思う孫娘・瑞穂の視点で、書かれていく。
「どこにも出かけたことのなかった祖父母に豊かな旅の記憶があった」ということが分かったときの瑞穂の驚き、そして胸の中が甘い花の香りで満たされていく思い。瑞穂がたどる子どものころの思い出が、ふいに転換して見えてくる場面が、とりわけよかった。
(4/23了)
- 感想投稿日 : 2013年4月27日
- 読了日 : 2013年4月23日
- 本棚登録日 : 2013年4月23日
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