拉致―左右の垣根を超えた闘いへ

著者 :
  • かもがわ出版 (2009年5月1日発売)
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感想 : 9

蓮池透さんが、「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)の運動と距離を置くようになり、発言にも変化があって、以前はメディアにもよく出ていたが(「家族会」の事務局長をしておられた)、最近はメディアに滅多に出なくなった、という話を読んだのは、たしか森達也と藤井誠二の対談集『死刑のある国ニッポン』だったかと思う。被害者遺族で"ありながら"死刑廃止を訴えている原田さんのことも、やはり大きなメディアにはほとんど出ることがないと書かれていた。

やっと予約本のスキマができて、気になっていた本を借りてきて読む。

拉致被害者救出のために力をつくすという立場に、いささかも変わりはないが、「家族会」の運動のありようには疑問をもつようになったので、距離を置くようになった、と「はじめに」で書いてある。そして、「あいつは変節した」「裏切り者」とバッシングを受けているとも書いてある。

サブタイトルにもあるように、右でも左でもない、ただこの運動が被害者救出を第一とするようなものであってほしいと、日本政府がおこなってきたこと、北朝鮮を動かしていくにはどうするのがベターか、また日本の運動をどうしていくか、についてまとめてある。

運動のなかで、被害者家族のあいだでも立場の違いがあったこと、それでも最終的に統一して行動するということで、参加したくなかったデモに出たことがあるとも書いてあった。これはどんな運動にも言えることだろうけれど、基本的な一致点はどこか、そこで一致できたら一緒に行動することで、より大きな動きをうみだすことができる一方で、そのデモなり運動に参加した個人に、とりわけ批判的な立場の人からは(あんなのに参加してるのか)(あの人は、あれを支持してるのか)といった色づけがおこなわれてしまうこともある。よく知らない運動であれば(たとえば、テレビや新聞のニュースで出るのを見て知るような運動は)、とくにそうだろうと思う。

どんな運動も、個人が集まってやっているものだから、一枚岩であるわけがない。それは理屈ではわかるけれど、テレビをあまり見ない私でもたまに見ることがある「家族会」などの「北朝鮮に経済制裁を!」という主張は、被害者家族の言い分にケチをつけるのは…という雰囲気とあいまって正しい感じがあって、でもその「正しい感じ」と経済制裁をという内容に、私は(それでええんかなあ)という気持ちがあった。

蓮池さんも書いているように、経済制裁は、あくまでも被害者救出のために北朝鮮を動かそうという一つの手段なのだと思う。だが、もうかなり長いこと「経済制裁を!」という主張はニュースで聞いた気がするが、残念なことに、北朝鮮との間の交渉にはほとんど何の進展もない。

政府が「制裁路線」を取っているのは、「家族会」や「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の強い要請を大切なものとして扱っているということでもある。だが、「家族の言うことだけをやっていればいいのだと、安易に考えてきたのではないかとも思う」と蓮池さんが書いているのも当たっているだろうと思う。

家族の気持ちは尊重するにしても、国として、どう動いていけば、被害者救出への道がひらけるのか、日本政府に戦略がないのはそうなのだろうと思う。

蓮池さんの弟さんたち日本へ帰ることのできた家族がのびのび暮らしているわけではないという。「自分たちだけ帰ってきて、忍びない」という思いがあり、いつも他の人たちのことが頭にあって、心から喜べない状態は続いている。蓮池さんの母上もまた、うきうきと笑顔で歩いていれば「まだ、めぐみさんの問題が解決していないじゃないか」と言われ、しょぼんとして歩いていたら「うれしくないのか」と言われるという。「私はどういう顔して、まちなかを歩いていいかわからない」という母上の困惑が、この問題が終わっておらず、続いていることの苦しさをあらわしていると思った。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2009年12月21日
読了日 : 2009年12月21日
本棚登録日 : 2009年12月21日

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