2011年(底本1999年)刊。著者は元京都大学教養学部教授。
一見すると、挑戦的なタイトルだが、内容は全く違う。独立行政法人化前、大学改革論が喧しかった頃、大学機構改革・大学研究・講義論を鼎談形式かつ経験論的視点で著者流に叙述した書である。
とはいえ、関西弁が生きる軽妙洒脱な語り口に爆笑させられる。
例えば、
「研究室には"抜群"とズッコケの両方がいた方が良い」
「スカタン言いよるからズッコケの大部分はあかん…が、その中から抜群が"これ"というのを見っける」
「ところが、受け止めてくれる"抜群"がいないとズッコケは諦めて"抜群"に化ける」
「こんな化けた先輩の伝説ある研究室は明るい」
と。しかし
「ただし、大部分のズッコケは化けることなくズッコケっぱなしで…"抜群"の方が確率がいい」
というようなオチを最後につけるあたりが見事である。
もちろん本筋も振るっている。
⑴ 再任禁止の10年任期制。
⑵ 年間1億円出して目玉となるノーベル賞学者を大学で各々選抜し、自分の大学に呼んで講義(広告塔)してもらう。つまり事実上の広告塔とする。
さて、大学生を含め、判らんことに対する堪え性のない点は致命的だ。すなわち、判らないことを頭の中に養う能力が大事だともいう。
また、研究の失敗は、後続の失敗を回避させる価値があり、批判すべきでない。
複数回の失敗を想定し許容すべきであり、10年位は安定した地位がないと、総体的な良結果にはならない。
等々の、慧眼の数々。
さらに一回の講義に対しては、その倍の時間の自宅・図書館での自学習が要る(90分講義なら180分)という至極マトモな指摘もてんこ盛りである。つまり、まともに講義を受けようとすれば、一日に何コマも入れられるはずがないのだ。
補足。
①「カシコに教わるくらいアホでもできるがな。アホでも教われるのが本物のカシコ」。
② 京大でけったいな研究会に常に顔を出していたのが湯川教授。そこでけったいな質問を連発し、勿論8割位は愚問だが、残りの2割の妙な話が議論を活性化させる。その愚問を恐れず質問し続ける点が凄い。若手研究者や学生も見習ってほしい姿勢である。
③ 旧制の東大生は大概、大学や講義を当てにせず、社会からでも何からでも、自分が学ぶための材料を仕込む時期と考えていたよう。勿論、新制になってからもそういう姿勢はあったよ。でも今は…。
④ 進学した後に学生が伸びた大学は京大が一番という話が出たが、それは不思議だ。京大みたいなところは伸びるのと落ちこぼれるのとが両方いる。両方を見ないとその評価はしにくい。
他にもまだまだ沢山あるが、大学生や院生、あるいは高校生、さらには自らの学びを続けようとする者にとって金言至宝と笑いが詰まった一書である。
- 感想投稿日 : 2016年12月24日
- 読了日 : 2016年12月24日
- 本棚登録日 : 2016年12月24日
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