タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (1967年2月16日発売)
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『形とか内容は同じであっても、その仕方、運び方が違うということは、社会の質を知るうえでたいへん重要なのである』(p.15)

外装は西洋化したように見えるが、内的には日本に特有の「ウチとソト」の社会構造に関する通念が色濃く残存していることを指摘・考察した書。1967年出版。

西洋的社会認識において集団とは個人の属性の集合であると捉えられ契約主義的に運用されることが多いのに対し、日本的社会認識においては集団とは個人の集合体としてその内部の関係性に焦点があてられた運用が為されることが多い。

そのような価値観に基づけば人は「集団に所有される」という側面が強く、集団とはすなわちその人全体がどっぷりとつかるものであると言える。個人は集団に内包されるのである。
(「籍を置く」といった表現にも日本において個人は1つの名をある一定の場に固定するという観念が含まれているのかもしれない...)

こういった社会構造においては同様の属性を持つ者どうしの風通しの良いコミュニケーションは行われず、内的に閉ざされた「ウチ」の社会空間が完成する。
労組などを組んだとしても仲間意識が企業内で完結しており、外部企業の同様の境遇の人々のことを「ソト」と認識してしまうため、プロレタリアート運動的な熱意を持った大きな運動に発展することがない。

日本ではなぜ実力者が組織の上層部に行くことができないのかについての考察にも惹かれるものがあった。

日本においては集団内の関係性をうまく運用していくことに主眼があてられており、集団内の関係性をよく知っているのは「長く居る人」なのだからその人の評価が高くなるという構造が存在するワケだ。

このような背景にあっては転職するということは「新入り」になることであり、日本において高い評価が為される性質を持つ社会的資本を自ら捨て去ることでもある。
この行動はこの状況下おける個人の経済的判断としては不合理なものとなるだろう。そういった力がはたらき、日本の人材には流動性が~ということにもなる。

決して日本を特別扱いするわけでなく、この社会文化的構造が形成されてしまっている土壌のもとにはそこから抜け出すのが難しくなっているというある程度客観的な社会構造的力学を提示していたため、数値で示された客観的事実の提示はないにせよ示唆に富む考察を得られた書であった。

集団内の全員が一致しているときには勢いが出るが、それぞれの方向性が統一されてないときには和を取り持つためだけに多大な労力が割かれ生産性が一挙に低下してしまう日本的社会集団の性質はようやく個人主義が背景として受け入れるようになってきた我々の世代とさらに大きな軋轢を生み出している。

パッケージと内容物の不和がこの国の「失われた30年」の背景にあると考えてみても、確かにもっともらしいと思える。

この書が書かれてから実に55年が経っているが、明治維新期に取り入れられた形式としての西洋的構造と通念としての日本的社会構造のアウフヘーベンに日本は未だに成功していない。
このパッケージと内容の不和の問題を大きく取り上げ、真剣に取り組むことなしには今後も日本の経済的停滞は続くことが予見されるだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2022年7月14日
読了日 : 2022年7月14日
本棚登録日 : 2022年7月14日

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