家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)

著者 :
  • 岩波書店 (1984年7月16日発売)
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感想 : 21
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「訓」は「おしえ」と読む。宮本常一のかなり有名な著作。昔がすべてよかったわけではないが、昔に学ばなければならないことはあまりにも多い。
初版本は戦前(1943年)に発行されており、当時の社会状況が垣間見てとれる個所も多くある。しかし全体的には、著者自身の体験も織り交ぜながら、祖父や曾祖父の時代まで遡りつつ、家庭や地域の中で子どもがどう育てられてきたかを綴っている。

まず、親は子どもに対してべたべたしていなかったのだなと思う。特に、著者の両親の子育てには、生き方を口で諭すのではなく、その身をもって示すような、凛としたところがある。
陰膳だとか神社への願掛けのお参りなどのくだりを読むと、しきたりとか作法は本来心情の表現手段だったのだなあと強く思う。

子育てにも慣習があって、子どもが幼いうちは祖父母が世話をし、軽労働のできる年齢になると親がその世話をする。仕事をする様子を見せながら、また手伝わせながら、躾も行っていくのだ。
少し大きくなると他家に宿泊し、社会へ出る準備を始める。そして若衆の仲間に入り、そこで一人前になるための修練をする。
学校制度以前から地域社会で人材を育てるシステムがちゃんと存在していたのである。

宮本常一の文章は事柄を淡々と客観的に述べる。自身の感想や形容を極力少なくしているようだ。しかし心が冷たいわけではなく、『私のふるさと』の中の「ある老人の死」(p237)や「一人の娘」(p254)からは深い慈しみの心が読み取れる。この姿勢は『忘れられた日本人』にも貫かれていると思う。

最も私の印象に残ったのは、「よき村人」の項にある以下の文章である。

“共に喜び共に泣き得る人たちを持つことを生活の理想とし幸福と考えていた中へ、明治大正の立身出世主義が大きく位置を占めてきた。心のゆたかなることを幸福とする考え方から他人よりも高い地位、栄誉、財などを得る生活をもって幸福と考えるようになってきた。(中略)がそれは、根本からかわったのではない。ただ時代の思想の混迷の中に、新たなる基準が見出せなかったのである。そして、基準を失ったということが村落の生活の自信を失わせることにもなり、後来の者への指導も投げやりになっていった。”

繰り返しになるが初版本は昭和18年に発行された。してみると、ふるさとが崩壊したのは戦後の高度成長期からではないのだろう。もっと以前、20世紀に入った頃から、私たちは道を逸れ始めたのかも知れない。
むろん人類が20世紀から得たものは多い。私たちが歩まねばならないのは、20世紀以前から培ってきた暮らしと、20世紀以後に得た文明との融合を目指す道であろうと思うのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年5月3日
読了日 : 2007年3月30日
本棚登録日 : 2013年5月3日

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