自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く

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  • 福村出版 (2017年4月8日発売)
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「自閉症児者は方言を話さない」という印象を出発点に、方言の社会的機能、意図理解を目的とした言語コミュニケーション、言語習得のメカニズムを解き明かしていく。

方言というものが連帯意識や帰属意識を想定したものだというのは、たしかによくわかる話だ。方言に限らず、我々は話し相手との距離感に応じて話しかたをさまざまに変化させるものだ。方言をわざわざ用いるということには、そこにある種の「親密さ」を込めるという意図がある。しかし、自閉症者にはそうした認識の共有であったり、共通語と方言を使い分けることが難しい。僕なんかこういうの他人ごとではない。

自閉症者や認知症の老人、乳幼児に対して声かけする際に「行きましょう」ではなく「行きます」というように「ですます調」で働きかけることが多いという話が興味深い。「聞き手に対してお願いや命令をするというのは、その強弱に差はあったとしても聞き手の意図に対する働きかけです(‪⋯‬)ところが、なぜかASDの人や認知症・乳幼児に対しては、「あなたがする行為についての教示」を示すような言い方をします。あなたがすることは、「◯◯です」と言っているのに近いです。相手の意図に働きかけているわけではないように感じられます。相手は意図に働きかけても自主的判断ができないとみなしているからかもしれません」(p.223-224)

ちょうどこの本を高田馬場駅前のロータリーのベンチで読んでいて、「ここでは煙草を吸えません」という注意書きがあるのに気付いたのだが、「吸ってはいけません」ではなく「吸えません」とするのは本書でいうところの意図変更の依頼のショートカットと同じことではないか。こうした言い回しにはそれなりの効果があるのだろう。

ASDの人が、相手の意図を変更するのに論理的・合理的説明に重きをおくのに対して、定型発達の人は理屈ではなく自己の希望の強さの表明が相手の意図を動かすと考えているという話、社会という感じがしますね。後者の希望というのは「社会通念上、当然のものとして求められていること」だったりするわけでしょう。転んだ人がいたらとりあえず駆け寄るとかもそう。「大丈夫だとわかっているのにわざわざ嘘くさいやりとりがうざい。自分だったら、そんなやり取りはしたくない」(p.243)というのは、非常に身に覚えがあります。コミュニケーションは面倒だ‪⋯‬。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年4月1日
読了日 : 2018年3月31日
本棚登録日 : 2018年3月31日

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