文盲: アゴタ・クリストフ自伝 (白水Uブックス)

  • 白水社 (2014年9月23日発売)
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筆者のアゴタ・クリストフはハンガリー出身の女性作家。「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」という有名な三部作を書いている。本書はアゴタ・クリストフの自伝。
ハンガリーの首都ブダペストには一度だけ行ったことがある。冬の一人旅で、雪も降っていて観光には不向きな時期ではあったが、それでもブダペストはきれいな街だなと思った。地下鉄を使って街を歩いたが、訪れた中でハンガリーの共産党支配時代の記録を残している博物館が非常に印象に残っている。何という博物館か忘れていたので、ネットで調べたら「恐怖の館」という名前の場所であった。
第二次大戦後、東欧の国々は実質的にソ連の支配下の中で共産主義化した。ハンガリーもそれらの国の一つであった。その体制は要するに一党独裁体制であり、当時のハンガリーはそこまでひどくはなかったかも知れないが、現在の北朝鮮と本質的には同じである。共産党支配のもと、国家がすべてをコントロールし、それに逆らうことは許されないというか、それは死を意味した時代である。私がブダペストを訪れたのは、ソ連崩壊後、すなわち、ハンガリーの共産党支配時代が終わってから随分と経ってからであり、「恐怖の館」は、共産党支配下の悪夢の時代を記録し、二度とそういうことがないようにするために建てられた博物館であると理解した。
1956年にハンガリー動乱と呼ばれる事件が起きた。ウィキの説明ではハンガリー動乱とは、「1956年にハンガリーで起きたソビエト連邦の権威と支配に対する民衆による全国規模の蜂起を差す」とされている。ハンガリー市民数千人が亡くなり、過程で25万人の難民が国外に亡命することになった。本書にも書かれているが、アゴタ・クリストフも、ハンガリーから国境を越えてオーストリアに逃げた難民の一人である。アゴタ・クリストフ21歳の時の話。夫と生後数か月の赤ん坊での亡命であった。
この時、ヨーロッパの各国がハンガリー難民の受け入れを行い、アゴタ・クリストフは、スイスのチューリッヒ難民センターで受け入れられた後、スイス内の別の都市に家族で送られ、アパートと仕事を提供された。それは、はたから見れば、ソ連の軍事侵攻が進む危険で貧しい生活を強いられた祖国から、安全で物質的に豊かな場所への移住であったが、アガタ・クリストフは、そこでの生活を、「砂漠での生活」と記述する。味気無さ、空虚さ、ホームシック、家族や友人と会えない淋しさの中での変化のない、驚きのない、希望のない生活と記述している。
日常の生活の中で、あるいは努力をして彼女は徐々にフランス語を覚えていくが、ある日、自分が「文盲」であることに気がつく。少しは話せるが、フランス語を読めないし書けないのだ。そして26歳の時にフランス語の読み方を学ぶために大学の夏期講座で学び始める。フランス語で読書が出来るという体験は彼女にとってかけがえのないものであったが、やがて、彼女はフランス語で「書く」ことに移っていく。ものを読まざるを得なかったと同じく、何かを書かずにはいられなかったのである。最初に戯曲を書き、その後、小説を書き、1986年に「悪童日記」が出版される。ハンガリー動乱の年から30年が経過していた。
本書は100ページ程度の短い自伝であり、また、アゴタ・クリストフは、抑制の効いた文章で、ある意味淡々と自らの経験を振り返っているが、内容は衝撃を受けざるを得ないものである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年7月23日
読了日 : 2021年7月23日
本棚登録日 : 2021年7月23日

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