近代地図帳の誕生: アブラハム・オルテリウスと世界の舞台の歴史 (臨川選書 11)

  • 臨川書店 (1997年6月1日発売)
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クーマン(長谷川孝治訳)『近代地図帳の誕生』臨川選書、1997年(原著1964年)

 オルテリウスは、アルトウェルペン(1527-98、現ベルギー、英名アントワープ)の地理学者、大航海時代の地図を集成し、世界初の地図帳をつくった。家はアルトウェルペンの古い家系で、父レオナルドは骨董商だった。20歳ごろからオルテリウスと名のり、地図彩飾師になった。聖ルカ・ギルド(芸術家組合)のメンバーであった。フランクフルトの書籍市をはじめ、各地に旅行し、地図(や趣味で収集していたコイン)を仕入れた。背が高く優雅な物腰で、ビジネスマンとしても成功した。ヘラルド・メルカトル(1512-94)が科学的態度で地図をつくったのに対し、オルテリウスは商業的な地図作成で成功した。オルテリウスとメルカトルは友人で、ともに旅をしている。また、『世界の舞台』にはメルカトルの地図を多くとる。(地図帳という意味の「アトラス」はメルカトル1588年による。)
 1550年から58年にイタリア、59年にはパリに滞在、60年には、ヘラルド・メルカトル(1512-94)といっしょにフランスを旅行した。58年ごろから出版業者プラタイン家と取引があり、1563年からコスモグラファーとして認知されていた。65年には「エジプト図」を描いた。
 1570年に世界初の地図帳『世界の舞台』(ラテン語版53図副、71年オランダ語版、72年ドイツ語・フランス語版、73年70図副、79年93図副、84年114図副、91年134図副に増訂)をつくる。初版発行1570年から1599年までに1911部が出版業者プラタイン家にわたっている。
 73年にはアルバ公から「陛下の地理学者」の称号をたまわる。また、同年稀少コインの説明書を出版した。75年、イタリアで骨董及びコインを収集、76年、スペインのアルトウェルペン進攻で一時イギリスに亡命した。78年イタリアを訪問、地名辞典を完成、81年新しい家を購入し、『歴史地図帳』にとりくむ。また、『交友録』にのせるためにヨーロッパを旅する(85年、パルマ公がアントウェルペンを包囲した)。
 92年、家を買い「オルテリウス博物館」を設立した。93年に『ユリウス・カエサル全集』を出版、95年に市から敬意の印としてゴブレットを贈られる。1598年7月4日にアントウェルペンで死去した。
『世界の舞台』(1570)にいたる世界情報の源泉
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1487年 ディアズ、喜望峰に到達
1492年〜1504年 コロンブス四航海
1497年 ジョン・カボット、ニューファンランドへ航海
1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ、インドのカリカットに到達
1500年 セバスチャン・カボット、ノヴァスコシアへ航海
1509年 セバスチャン・カボット、ハドソン湾へ航海
1511年 ポルトガル人、モロッカ諸島に達する。
1519年〜22年 マゼランの世界周航
1519年〜35年 コルテスによるメキシコ征服
1524年〜27年 ピサロによるペルー征服
1525年 スカンジナビアにゲラシモフが到達
1527年 アルヴァロ・デ・サーヴェドラ、メキシコからフィリピン・モルッカ諸島へ航海
1544年 ペドロ・デ・バルディヴィアがマゼラン海峡にいたるまでの南米西海岸を探検
1549年 ザビエル、日本に到達
1549年 オーストリア人ジギスムント・ヘルベルスタインが自著にロシアの地図を掲載
1556年 イギリス人バローズがアルハンゲリスクを訪れ、ノヴァヤゼムリャ島に到達
1558年 イギリス人ジェンキンソンがロシアを横断、ボハラまで旅行

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2015年11月19日
読了日 : 2015年11月19日
本棚登録日 : 2015年11月19日

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