ハドリアヌスの治世の後半と、それを継いだ皇帝アントニヌス・ピウスの治世を取り上げている。
ローマ帝国の全土を回り、地方の統治と安全保障の基盤を盤石にすることに心を砕いたハドリアヌスであったからこそ、ユダヤ問題はローマ帝国の安定を脅かす可能性のあるものであるとの印象をより強く受けたのかもしれない。
ローマ人はもとより、他の民族、宗教との間にも一定の距離を置き、決して融合することのないユダヤの民の生き方が、彼にとってある一線を越えた段階で、この状況に対する決定的な対応が必要という判断をしたのだろう。
ユダヤ人の反乱を軍事力で平定するだけでなく、その後イスラエル建国まで続くユダヤ人の離散(ディアスポラ)の始まりとなる、ユダヤ人のイェルサレム居住を禁じる措置が、このハドリアヌスの治世に始まっている。
神の国の建国を自らの民族にとって唯一の「自由」の実現と捉えるユダヤ民族と、司法、祭祀、徴税といった現世における自治を「自由」と捉えるローマ人の考え方の違いが、この時代において決定的な形で表面化したということが、筆者のローマとユダヤの関係についての俯瞰的な解説でよく分かった。
一方、その後を継いだアントニヌス・ピウスの時代は、きわめて平穏に過ぎていった。
「現場主義」の前皇帝とは異なり、筆者が「カントリー・ジェントルマン」と書いているような温厚でバランス感覚に富み、保守的で公徳心にあふれた皇帝の性格そのものの治世を、過ごしている。
このような対照的な人物を、血統ではなく養子縁組という形で次期皇帝に選ぶというローマ帝国の各皇帝の見識にも、改めて驚かされた。
- 感想投稿日 : 2019年6月25日
- 読了日 : 2019年6月24日
- 本棚登録日 : 2019年6月17日
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