私たちはテレビを観、インターネットを閲覧し、携帯電話でメールをやりとりし、電子マネーで買い物をしている。それらの道具は使用法さえ覚えればだれでも使うことができる。しかしその仕組みを本当に理解しているユーザーはほとんどいない。そもそもユーザーは自分が使っている道具の仕組みを理解しようとはしない。理解する必要がないからだ。仕組みを分かっていなくても道具は充分に使うことができる。必要なのは道具に対する信頼だけだ。それはほとんど宗教に近いものではないだろうか。
ある本によれば、飛行機が飛ぶ原理は実は厳密には分かっていないのだという。それでも私たちは飛行機に乗る。理屈は分からなくても飛行機は現に飛んでいるのだから問題はない。みんなそれに乗っている。高いお金を払って。だから落ちるわけがない。
1985年8月12日に羽田空港発伊丹空港行きのJAL123便に乗った524名の乗員乗客たちも、おそらくはそのように確信していたに違いない。というよりも落ちる可能性を全く想定していなかったことだろう。「起きてはならない」からといって「起こらない」ことにはならないのに、だれもが両者を混同してしまう。そしてそれは起こった。
飛行機には他の乗り物にはない独特の怖さがある。落ちたらまず全員助からないということはもちろんだが、陸の車や海の船とは違う根本的な危うさが飛行機にはある。車が動かなくなっても地上に停まっていればいい。船が動かなくなっても海に浮かんでいればいい。しかし飛行機はそうはいかない。空中で動かなくなったら落ちるしかない。前進か、さもなくば死というALL or NOTHINGの世界。飛行機とは実は命がけの乗り物なのだ。
そもそもあんなに巨大で重い物体が空を飛ぶということ自体が、本来あるはずのないことなのだ。あるはずのないことを、人類は科学技術によって実現させた。そうすることが必要だったとは思えない。科学技術とは実は不可能への挑戦であり、その行く先は人類の幸不幸とは関係がない。飛行機が落ちたときにだれもが感じるあの罪悪感、「だから言わんこっちゃない」という言葉でしか表現できないあの後ろめたさは、空を飛ぶということが実は余計なことであり一種の冒涜であることに、だれもが薄々気づいていることの証拠ではないだろうか。
本書が事故発生後わずか一年で書かれたことには驚きすら覚える。その後新たに判明した事実は少なからずあるものの、今読んでも全く古さを感じさせない。単なる技術論や感情論に走ることなく、達観した見地から事故を冷静に分析している。それを物足りないと評する向きもあるかも知れないが、数ある類書の中で名著と呼ぶにふさわしい一冊だと思う。
- 感想投稿日 : 2019年7月2日
- 読了日 : 2014年10月31日
- 本棚登録日 : 2019年7月2日
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