(上巻からつづく)
さらに興味深いのは、探偵と犯人のバトルの裏にひそむ思想的な対立だ。
例えば、「笑い」に関する議論は、探偵と犯人の終盤の対決で明らかになるように、物語の根幹を為す重要なテーマのひとつである。笑いとは、何か。残念ながら、私は哲学を学んでいないので学問的な議論はできないが、この物語を通じて、多少なりとも作者の思想に思いを馳せることができれば、と思う。
ウィリアムとホルヘは、学識の深さにおいても、神学への情熱においても拮抗している。大きさが等しく、方向が正反対のベクトルのようだ。知的レベルでは拮抗しながらも、「笑い」に象徴される根本的な思想において、ついに両者が相容れることはなかった。
その根本的な差異とは、「教義の完全性を信じる」か、「教義の完全性に疑問を抱くことを許す」かの違いだ。
一方は教義を「保存」し「継承」することにのみ価値があると考え、もう一方は教義を「探究」し「刷新」することに意義を見いだした。それは、以後数百年に渡って続くことになる、宗教と科学との対決の構図に似ている。
笑いとは、「寛容さ」の象徴だ。笑いに必要なのは複眼の視点と、対象との適切な距離感である。対象に没入してはいけない。対象から目を背けてもいけない。対象へのあくなき興味を維持しつつ、様々な角度から評価できる柔軟性が、笑いには不可欠だ。それは科学をはじめ、学問にたずさわる全ての者に共通の心得でもある。
愛なき笑いは不毛であり、ときに破壊的ですらある。しかし、愛を前提にした笑いは精神の平衡を保ち、「狂信」という病から私達を救う良薬となってくれるだろう。対象に愛を注ぎつつも妄執せず、様々な視点から眺められるよう、常に心を自由にしておく。それではじめて真理に近づくことが可能となる。それが学問を志す者の鉄則であり、不幸な歴史を繰り返さないための人類の知恵なのだと思う。
そう考えると、この物語は、宗教と学問が分離する以前の、人類の未熟な思想体系に対する回顧録のようでもあり、滅びゆく中世キリスト教世界に対する壮大な鎮魂歌のようにも思える。あるいは、人類がいまだに克服することのできない排他性や、テロリズムに対する警告の書とも…。
混迷を極める21世紀にこそ、多くの人に読まれてしかるべき作品だと思う。
- 感想投稿日 : 2009年8月31日
- 読了日 : 2009年8月31日
- 本棚登録日 : 2009年8月31日
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