ストレスとはなんだろう―医学を革新した「ストレス学説」はいかにして誕生したか (ブルーバックス)

著者 :
  • 講談社 (2008年6月20日発売)
3.50
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本棚登録 : 97
感想 : 17

 ストレス学説が定着し明らかになってゆく研究の過程を、研究者らの人間臭いドラマとともに描き出している本。ストレスの対処法などよりは、ストレスの仕組み自体に関心のある人、また研究者らのドラマに関心のある人におすすめしたい一冊です。


 「ストレス」にさらされた人が、さまざまな不調を訴える。これはこんにちでは当たり前に理解されることですが、かつては「病気は病原菌がもたらすもの」という考え方が主流であり、患者のとりとめのない愁訴は「気のせい」で一蹴されていた。黄熱病をもたらす「黄熱菌」の存在を明らかにすべく人生を捧げた野口英世が印象的です。

 この病原菌起因説が転回する一つのきっかけが内分泌学の発展。いまでこそ自律神経だとかACTHなどというものは私たち一般の人間にも馴染みのあるものだけれど、それはまさに内分泌学の成果によるもの。有名な功績として知られるのが高峰譲吉によるタカジアスターゼやアドレナリンの発見、バンディングとマクラウドによるインシュリンの発見であるが、ここの人間ドラマがまた泥臭くて面白い。協力者を事業から締め出し、功績者を共同研究者から抹殺するなど、手柄を独り占めにするかのような高峰譲吉。抽出液の作製法を教えないコリップの胸ぐらを締め上げるバンディング。

 ともあれ、この内分泌学に関心が寄せられるなかで、やがてストレス学説を提唱するセリエが登場する。セリエは上記したコリップのもとで性ホルモンの研究をするのだけど、何ら成果のない大失敗をやらかしてしまう。しかしセリエの天才だったのは、そこでただの失敗に終わらせるのではなく、若き日に疑問を持っていた「非特異的な症状」に関心を寄せたこと。一見して突飛な領域を繋げる、それまで誰も見つけていなかった課題の可能性を発見した。

 しかし失敗をしたセリエはその奇天烈な路線を歩むことによっていっそうコリップの研究室のなかで孤立してゆく。友人にさえ「がらくたの薬理作用の研究」としか見られなかった。そんななかでバンディングが彼を支援するというのがまた燃える(個人の感想)。人間的にもどうなんだとか、インシュリン以外何もやってないじゃないかとか、こてんぱんに書かれているバンディングが、ここでストレス学説の成立に間接的に、しかし確実に橋渡しの役割を果たしている。

 ストレス学説が唱えられると、その細密化が進められてゆく。セリエは、研究には「課題発見者」と「課題解明者」がいると言っている。自身には課題発見者としての自負があっただろうセリエは、のちに続く課題解明者をどう見ていたのか。それは分からない。

 ストレスに対する反応には、ふたつの経路が考えられる。一つは本書がおもに扱う内分泌系の経路であり、もう一つは自律神経系の経路である。ただ、自律神経系の経路はまだよく分かっていない、というのが本書が著された時点での認識のようだ。いまでこそ心臓血管と自律神経が関係しているということは当たり前に知られているけれども、セリエがストレス学説を唱えた1930年代には心電図は一般的ではなく、そこには一つの技術的な限界があったとは言える。そしてこんにちも解明はされていないらしい。

 技術的に未成熟であることが新たな発見に資することもあれば、人間的に必ずしも支持されないような人物が思わぬところで医学の発展に貢献していたりする。なにが「進歩」につながるかは分からないものだなあ、というのが、読後第一の感想だった。その意味で本書はドラマチックで、知的探求というのをすっ飛ばして、読み物として面白く読んでしまった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年2月3日
読了日 : 2020年2月3日
本棚登録日 : 2020年2月3日

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