片手の郵便配達人

  • みすず書房 (2015年12月22日発売)
4.00
  • (9)
  • (16)
  • (5)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 204
感想 : 29

 グードルン・パウゼヴァングの『片手の郵便配達人』を読んでみた。

 第二次世界大戦の終戦近い1944年8月から物語は始まる。かつて生粋の愛国少年だったヨハンは戦地で左手を失い、17歳になった今は故郷のヴォルフェンタン地方で郵便配達人として村々を巡り歩いていた。

 戦地から離れたこの地方の人びとにとって、貴重な情報源でもある郵便配達人は、戦地からの生存を知らせる希望をもたらす存在であり、戦死を伝える「黒の手紙」によって絶望をもたらす存在でもあった。しかしヨハンはその仕事を自分の意志で引き受ける。彼にとって郵便配達人は単に手紙を届けるだけではない。父の戦死を伝える「黒の手紙」を受け取って悲嘆にくれる母子にも、息子の戦死という現実を受けいれられずにいる老婆にも寄り添い続ける。村の人びとの心に寄り添う仕事なのだ。そんな信念を理解してか、村人らのヨハンに対する信頼も厚いことがうかがえる。

 郵便配達人は人びとにとって、戦争の状況や村同士の細かな情報を伝える情報源でもある。ヨハンの日常を通じて、戦争の影響がこの田舎にも徐々に波及してくる様子が描かれる。戦地にならずとも戦争の影響はやってくるのだ。疎開してくるさまざまな国の人間。彼らを自宅に受け入れる村人たち。増えてゆく「黒の手紙」。自殺を図る村人。

 もっとも、戦争の影響という点でいえば、その下地でもある人種主義、愛国主義的な価値観に対する人びとの影響というものも考えずにはいられない。田舎だからか、ナチスやヒトラーに対して批判的な人も多くいるけれど、積極的にナチスを支援する人もいる。ヨハン自身、そうした価値観のもとで教育を受けたからこそ英雄として名を挙げたいと望んだのであり、それによって失った左手を「勇敢であった」と一言で片づける教師によって、その価値観は壊されたのであった。

 パウゼヴァングの物語に共通するのは、戦争への強い反感と平和への願い、そしてそうした願いが思い通りにならない現実のやるせなさではないかと思う。戦争への強い反感というのは明らかで、それはヒトラーを批判し続けるヨハンの母親などに象徴的に描かれているところでもある。そして愛国少年だったヨハンや、最後までヒトラーの勝利を疑わなかったマリエラは、かつての著者自身の投影なのかもしれない。

 そしてやるせなさ、こちらが物語の中心にあるように思えてならない。よかれと思ったことが裏目に出ることは現実にもよくあるけれども、それが思わぬかたちで結末に現れる。それは衝撃的であると同時にやりきれないものがあり、不愉快であると同時にどこかで納得もしてしまうような結末だ。誰が生きて誰が死ぬのか。誰が善人で誰が悪人なのか。善悪そう単純に割り切れるものではないし、戦争がもたらす現実は無慈悲だ。腹立たしいけれど、どうしようもない。そんな無力さを思い知らされる本だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年7月24日
読了日 : 2016年7月23日
本棚登録日 : 2016年2月28日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする