回遊人 (文芸書)

著者 :
  • 徳間書店 (2017年9月26日発売)
3.56
  • (5)
  • (8)
  • (11)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 84
感想 : 12
5

男は自分の人生に満足していなかった。
新人賞受賞後、作家デビューして六年間、いい文章は書けない。妻の淑子は身体が細く色気がない。息子は馬鹿だとしか思えない。
ひどい腰痛持ちの貧相な妻ではなくて、もっと尻の大きな女と暮らす人生もあったのではないか、と男は考える。

プチ家出中に拾った薬を飲んだ男は十年前に戻っていた。
淑子と付き合い始める直前の二月だったが、彼は淑子と付き合わず、元の世界でヒットしていた小説を自分で書いてヒットさせて、尻の大きな肉感あふれる女と結婚する。
肉感あふれる女の身体は魅力的だったが、健康面を考えない食事や浪費癖を彼はよく思わず、淑子との地味だけど実直な生活を懐かしんですらいた。

淑子は風呂もないアパートでひどく貧乏な生活を送っていて、男は彼女との交流を始めるが、肉感あふれる女に阻止されてしまった。そして淑子は姿を消した。
”もうすぐ大きな津波が来る”とネット上で噂され始めたのを見た男は、淑子も過去の記憶を持ったまま人生をやり直していたことを知る。なぜか地震も津波も起きなかった。男は淑子に申し訳なく思い、また十年前に戻る。

男は何度も十年間を繰り返す。淑子も何度も繰り返しているようだが、二人の距離は離れたまま。そして、彼らの息子は車に轢かれて死ぬ。何度も何度も。

十年を七回繰り返した後、淑子は多臓器不全で死んだ。身体は若く見えても中身は百歳前後になっていたはず。
男ももうすぐ死ぬ。執筆などどうでもいい。それでも、もう一回だけやり直したいという気持ちはまだ持っていた。「もう一回だけ!」

---------------------------------------

いまの記憶を持ったまま過去に戻って人生をやり直したい、と誰もが一度は妄想したことがあるはず。

けれど、過去にタイムリープしてヒットしていた小説を自分が書いたことにして稼いだり、豊満な身体の女性と結婚したりしても、結局のところ不満は出てくる。なんならタイムリープ前の生活を懐かしんだりしてしまう。
うまくいくとは限らない。

”しかし人は、自分が持っていない物に対しては何にでも嫉妬出来るものだ。”(P155より引用)

まったくもってその通りだと思う。
隣の芝は青く見えて嫉妬してしまうけど、隣の芝を手に入れたら元の芝の居心地の良さに気づいて今度は元の芝に嫉妬してしまうのだ。満足なんて到底できない。

実は妻の淑子もタイムリープし続けている、という設定に惹かれたし、彼らの心の動きがとても人間臭くてよかった。
タイムリープを繰り返した挙句、投げやりになってくる感じ、最高。

他人の人生に嫉妬するのもいいけど、いまの自分の人生だって他人の羨望の的になっているのかもしれない(あるいは、まったく見向きもされていないかもしれない)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 吉村萬壱
感想投稿日 : 2020年5月27日
読了日 : 2020年5月27日
本棚登録日 : 2020年5月27日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする