神々の指紋 下 (小学館文庫 R ハ- 1-2)

  • 小学館 (1999年4月1日発売)
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感想 : 24
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(01)
トンデモ,珍説,空想小説などのレッテルが貼られた本も,その時代の空気を呼吸しており,その意味では書かれた動機からは少し離れて歴史的な史料として読むこともできる.本書もそんな時代の空気を頁に保管してくれているのではないだろうかと手にとった.
時代とは,もちろん本書が発表された20世紀末であり,その世紀末はたまたまそれまでの1000年の終わりでもあった.しかし,本書を読めば,その時代の終わりは,もしかすると1万年にも及ぶ周期にあっての末世を示すものでもあった.著者はその終わりの時代にあって,始りの時代にあった中南米とエジプトにある古代遺跡の現場へと足を運び,そこで吸った空気を,本書に吐き入れているのであるから,敏感な読者は,その世界とその終わりに呼応することもあるだろう.
歴史を超えて,何か時間的なものごとを語ろうとするとき,それは預言的に,黙示録的に,また神話的なテクストに拠らざるをえない.歴史学や偏屈な考古学を超えようというのであるから,地質学,天文学,気象学といった別の時間スケールにある科学(*02)や,それを計測するための数学も動員される必要がある.
天体としての地球や星々をにらみ,地表をなす石や砂や水,大地と大海,そして氷と雪と向き合った遥か昔の人々が呼吸していた空気が,本書から感じ取られるとすれば,それは詩と科学という方法が,古今を通じているからなのかもしれない.

(02)
科学の定立は機械の設置を必ずともなう.観測装置や実験装置として機能した機械のイメージが古代遺跡に重ねられている.それは残された建築という産物は,産まれた当初にあっては機械として機能していたのではないだろうかという問いかけでもある.
その時代を生きて死んでいく人のための建築,住むために住居として機能し,死んでいく人のために墓所として機能する建築を否定する建築とはどのようなものであろうか.本来的な建築とは,時代を貫通するべく,強大で不変で定位され,次代の時代,そのまた次代の時代へと時を運ばれる程度の科学と技術を有した機械でなければならないのではないか,という超古代からの提案であるかもしれない.
長期的な天体運動に合わせた不動は観測所にもなり測量原点ともなる.その不動性(*03)を確保するための素材は主に石であるから,位置と素材の選定,材料の運搬と構築は,技術複合体となって巨大な石造物という機械を取り持つ.文字通りの月日や星々に向き合い,巨大や長大をもって望遠的に空と時に望みつつある姿,風や雨にさらされるつも,時に水を貯えながら配水し,文字や像を刻むための白紙としても機能する姿,こうした機械としての建築の姿には,超古代の人類からのメッセージを読むよりも,彼女ら彼らの偏執的な建築愛(機械へのマニアックな愛)を読むのが正しいのかもしれない.

(03)
不動と遊動は,何をその動性の基点に置くかによって相対的であるが,技術とそれを運ぶ技術者を基点とした際に,航海術は世界の動態を相対化させる.動かないもの,どこでも使えるものとしての技術を伝える人は,そのとき動きまわる人になる.箱舟や草舟といったモチーフも本書には記されており,遺跡との興味深い絡みも説明されている.
水をこなす航海と石をこなす建築という両技術の複合を日本列島に入力したとき,この国の古代史の動かしがたいところと動きまわるあたりが,はっきりしてくるのかもしれない.

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: sf
感想投稿日 : 2018年11月17日
読了日 : 2018年11月15日
本棚登録日 : 2018年1月20日

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