どういうきっかけで、今頃「嵐が丘」を読むつもりになったのかよくわからないのですが、たぶん、「自負と偏見」を読んだあとで、若干、ビターローストな味にお口を変えてみたいなぁ、と思ったんだろうな・・・
で、持っていたはずの嵐が丘を探す、と、本棚の後ろの方に、ありました。
そして、朝日がさんさんと窓から差し込む、さわやか通勤電車の中で、わたしは寒風吹きすさぶヨークシャーに連れて行かれ、来る日も来る日も、病とわがままと罵詈雑言と暴力におともするはめに。
やった~!えらいぞ自分!
じめじめな暗さに耐えて、よくぞ読みきった!
”わたしが経済的に安定すればあなたのためにもなるんだし、あなたへの愛情と結婚相手の愛情は、種類が違うから、結婚してもわたしたちは今までとかわらずにいましょう(にこっ)”的な、いい考えだと思ったのかのかどうなのか、なんだか能天気な一代目キャサリンの結婚がそもそもの元凶なのだけど、それがここまでの激しくも哀しい恨みと復讐の物語になっていくなんて。
この作品、中学生の時に読んでもナンノコッチャだっただろうな・・・
今読んでも、状況を理解するのにかなり時間をくいました(+ +)
結局、病もわがままも罵詈雑言も暴力も、成仏できない恋心ゆえに、繰り広げられた復讐だったのね…
でも、読んでいるうちに、ヒースクリフの執着心や乱暴さよりも、キャサリンの激しさのほうに興味をつかまれて、「なんちゅー女だ」と思うのとともに、これぐらい、好きなこと言って感情をぶつけながら生きられたらいいなぁ・・・なんてちょっと脱線してました。
ネリーが二代目キャサリンのことを指して「小悪魔」と表現した箇所があったと思うけど、まさにそれ。親子して、不思議な魅力を持ったおそろしい女性であり、そこにはからずもひかれてしまいました。
そして、余計なひとこと炸裂のネリーや、イラッとさせる名人のリントンを筆頭に、登場人物が少ない割に、みんなキャラクターがおかしくて、じめっと暗い中にも、またやらかしてくれたね的な楽しみが、この作品を読む支えになっていたのは確かです。
とはいえ、読み切った時、ようやくこの世界から解放された~!と喜びが押し寄せました。
こんなに疲れる作品はひさしぶり。
同時に、とってもやるせなかった。誰も幸せになることもないし報われてないし。
ヒースクリフの後日談がもう少しあるのかと思いきや、結局、キャサリンの幻に毎夜悩まされ、あっさりと連れて行かれたと聞いて、なんだか拍子抜け。
でもヒースクリフの想いは、周りの人への復讐がいくら完成したところで遂げられるものではなく、それも自分でもわかってたんだろうしね。むなしいけど自分の思うところの天国に行きついたんだろうからよかったんだろうなあ。
正直、読んでいる間はこの作品が嫌いで、早く脱出したくて、「こりゃー星ふたつだな」とか思ってました。
そして、終わりまで来たときには解放感でほっとしたけれど、少し時間が経った今は、もう一度読み直してみたいという気持ちになっているから不思議。
わたしもとりつかれてる!?
その「とりつかれ具合」によって、星よっつです。
でも、次に読むときは、もう少し古い訳のものを探してみようと思います。
やっぱり自分は、外国文学は、古めかしい訳で読むほうが好きなんだと実感しました。
- 感想投稿日 : 2012年5月27日
- 読了日 : 2012年5月24日
- 本棚登録日 : 2012年5月17日
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