長い。
一言でいうならそれに尽きる。
小説が長いというのは本当に難しいもので、長ければ長いほど批判が多くなる気がする。調べてないので適当な予測だけれども。
簡単に言えば読んでいる人間は「ここの部分必要なの?」だとか「この登場人物は何のために居たの?」というのが気になってしまう。要は、読んだ時間の、あるいはページの無駄を異常に嫌う傾向にある。
なので長編になればなるほど気に入らない部分が現れる可能性が高まるという感じではなかろうか。
どこか冷めた女子校生の主人公芦沢理帆子は、『少し不在』な自分を、どこか諦めながら過ごしていた。
病床の母、失踪した写真家の父、不安定な元彼、軽い友人、周りに溶け込めず、溶け込もうともしない自分と付き合いながら、日々を過ごす。
はてさて。
長編の長所は、短編と違って、登場人物に感情移入しやすくなる点だと思う。単純に描写が多くなるのでそりゃそうだという話なのだけれども。
この小説は賛否両論凄いことになっているようなのだけれど、ひたすら長いこの小説の大半を占める描写に共感出来ず、主人公に感情移入できねーよ!なんだこの鬱陶しい女は!となった人が全否定に走るのだろう。
わからんでもない。
冒頭にも書いたが、長い。ひたすら煮え切らない日常描写が続くものだから退屈になるのは確か。
エンタメ(ミステリ)というジャンルにおいて、純文学もどきのような内省な文章求めてねーよという。
まぁそこはそれで、主人公の、例えば別れた彼氏が如何に頭のおかしな行動に出ようとも捨てきれない、といった煮え切らない行動を「イライラする」と切り捨てることが出来るのだろうかと私は思う。
そういう部分が人間にはあるよなぁと思って読めば、感情移入とまではいかずとも気分が悪くはならない。
ただ道中、藤子不二雄、あるいはドラえもんの道具にまつわる話が多々出てくるが、それが果たして具体的に例え話以外に必要だったのかという気持ちになった。
そのあたりも難しいもので。
ミステリとしての部分はおまけみたいなもんでしょう。
この小説は自分という存在がいかに他人とつながっているか、みんな、って何か。つながりって何か。
そんなことを考える一冊でした。
- 感想投稿日 : 2017年4月28日
- 読了日 : 2017年4月28日
- 本棚登録日 : 2017年4月2日
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