キッチン (角川文庫 よ 11-8)

著者 :
  • KADOKAWA (1998年6月23日発売)
3.84
  • (2435)
  • (2223)
  • (3067)
  • (244)
  • (55)
本棚登録 : 22952
感想 : 2181
5

長らくブクログを休んでいたこともあり、
今一度、自分の原点を探ろう企画の第4弾(笑)

学生時代、僕が初めて読んだばななさんの本は 
「キッチン」だった。 
恋愛や別れを経験する中で 
口に出せなかった気持ちや、思春期に自分が見ていた景色や、言葉で表せないもどかしい感覚を、 
こんなにも見事に 
美しい『言葉』で表せる人がいたのかと本当に衝撃的だったのだけれど、
20数年ぶりに読み返した今もその驚きは変わらない。



主人公は唯一の肉親の祖母を亡くした大学生、桜井みかげ。
何もやる気が起きず、宇宙の闇に引きこもり
この世でいちばん好きな場所、『台所』で、
冷蔵庫のぶーんという音を聞きながら
眠り続ける日々。

飽和した悲しみの後には
柔らかな眠気があとから襲ってくるのを思い出す。

ああ~そうだ。悲しみってこんなんだったよな。

ばななさんの小説は、本を開き読んだ時の
言葉の音感やリズムのつけ方が独特だ。
この独特なリズムが合わない人は
多分彼女の小説は合わないし、
最初から合う人は何を読んでもずっと合うのだ。
そして事件よりも、
人間の深い心の動きだけを描いていきたいと
以前テレビのインタビューでばななさん自身が述べていたように、
読者は小説の中で大きな事件が起きなくとも
主人公の心の揺れだけで
いともたやすく引きこまれてゆく。
(ハートを掴まれるとはまさにこのことだ)


同じ大学でみかげよりひとつ年下の田辺雄一。
生前、祖母と仲の良かった雄一の計らいで、
雄一とその母えり子(実は父親)の家に居候することになるみかげ。

いつか必ず、誰もが時の闇の中へ
ちりぢりになって消えていってしまう。

みかげや雄一と同じく、
肉親を早く亡くし、施設で育った僕は
そのことを身体中に染み込ませながら、生きてきた。

みかげは僕だ。
あらためて腑に落ちた。
だからこそ、学生時代この小説に激しく惹かれたのだ。

バスの中で見た知らないおばあちゃんと小さな女の子の会話に
二度とはこない時間を思い知らされ、
涙が止まらなくなるみかげ。
みかげが祈る
『神様、どうか生きてゆけますように』には僕の涙腺も崩壊した。


好きなシーンを挙げるとキリがない。

ワープロ(懐かしい!)を買った嬉しさから
大量に引っ越しハガキを作る雄一とみかげのシーン。

みかげの夢の中、
夜中に汗だくで台所を掃除するみかげと雄一。
お茶を飲んで休憩しながら
菊池桃子の知る人ぞ知るセンチメンタルな名曲『二人のNIGHT DIVE』を口ずさむ二人。
真夜中のしんとした台所に歌声が響くシーン。

えり子さんを亡くし、うちひしがれる雄一と彼を励まそうと大量の料理を作るみかげ。
そんな二人のみなしごが、初めてお互いがお互いを必要とすることに気づく切ないシーン。

えり子さんがまだ男だった頃の
奥さんとえり子さんを繋いだパイナップルの鉢のエピソード。

旅先で巡りあった『非の打ち所のないカツ丼』を手に、
傷心の雄一が泊まる旅館に忍び込む
みかげの奮闘を描いた
物語のクライマックスシーン。


そして、記憶に残るたくさんの食事のシーン。
(この小説ほど、食べ物や食事が血肉となって物語を輝かせているものを僕は知らない)

光り降り注ぐ朝の木漏れ日の中、えり子さんと食べる
玉子がゆと、きゅうりのサラダ。

夜中の台所でみかげが雄一と食べるラーメンと
真新しいジューサーで作ったグレープフルーツジュース。

雄一が旅先で食べたとうふづくしの御坊料理。
(茶碗むし、田楽、揚げ出し、ゆず、ごま、すまし汁、茶がゆ)

そして、やはり最後に登場するは
真打ち、カツ丼だ!
(食事が美味しそうだった小説を挙げるとすれば、まっさきにこの『キッチン』が頭に浮かぶくらい
強烈な破壊力!)


一組の男女の再生を描いただけの
その後のばななさんの小説の原型となるストーリーだし、
単純明快な話なのに
何度心が揺れて、気持ちが持っていかれただろう。

言葉にしようとすると消え去ってしまうものや、
繰返し繰返しやってくる夜や朝の中では
夢になってゆくしかない儚い瞬間を
小説というものに見事に落とし込めた吉本ばなな。

人はどんなに負けまくっても、愛する人が死んでも、
それでも生きてゆかなければならないし、
誰もが暗い闇や息苦しい夜を越えるために密やかに戦っている。

ばななさんの小説は
そんな人たちに寄り添う。
暗闇を歩く人たちの
言葉にできないはがゆい気持ちを丁寧に丁寧に掬いとる。

僕はこの小説を思春期に読んで
たくさんのなくしたものたちの影から
解放された。
忘れるのではなく、手放す勇気を持つことができた。

これは、報われない愛の前で立ちすくんでしまった人や
誰かをなくした喪失感から立ち直れない人に向けて書かれた小説だ。

暗闇から一歩前に進む追い風となるであろう、
寒空の下で飲む
ブランデー入りホットミルクのような
切なくもあたたかい一冊なのだ。



★小説内でみかげと雄一が口ずさむ名曲、
菊池桃子『二人のNight Dive 』

https://youtu.be/gBha86AutgI

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2019年3月4日
読了日 : 2019年3月4日
本棚登録日 : 2019年3月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする