「でもそれは現実であるはずだった。何故ならそれが僕の記憶している現実だからだ。それを現実としてみとめなくなったら、僕の世界認識そのものが揺らいでしまうことになる。」
前作『羊をめぐる冒険』で様々なものを失った「僕」。
彼は失ったものを取り戻すために、再び冒険を始める。けれど、「僕」が失ったものとは結局は何なのだろう? 彼は何を取り戻すために、旅立たなくてはならないのだろう?
それはこの物語の最大にしてもっとも重要なテーマだと思う。つまりは、それは<現実>なのではないか。
「僕」の現実は「僕」が感じている世界、「僕」が認識している世界そのものだ。しかし、その<現実>で果たして本当に世界は機能しているのだろうか。僕の世界は進んでいるのだろうか。
僕はきちんと起き、食べ、動き、また眠っているのだろうか? 本当に「僕」は世界で生活しているのだろうか? 僕がそう思い込んでいるだけで、本当は何もしていないのでは? ただ僕は悲しんでいるだけなのではないだろうか?
現実と虚構、虚構と現実が入り混じるこの物語世界で、「僕」は必死に現実を探す。ステップを踏むのだ。きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
ベストを尽くすのだ。
それはとても辛いことだ。なぜ?と思ってはいけない。どうして自分だけがこんなことを?と思ってもいけない。なぜなら踊り続けるしかないからだ。それが必要だから、それが唯一の方法だから。
彼の虚構は彼が必要としたものだし、彼の虚構は彼を生かすために生まれたのだと思う。けれどそれはとどのつまり、虚構でしかない。それが現実である限り、僕はそれを他人と共有することができない。なぜならそれは彼のための世界だから。それは彼が必要として、彼が必要としている時だけ存在している世界だから……
世界は必要とされた時に生まれる。それは現実でさえも超越する。それが村上春樹ワールドの原点なのかもしれない。
この物語では、作者自身がその問題に真っ向から向き合っている気がした。踊り続けなくてはならない、ということは、「書き続けなければならない」ということなのかもしれない。世界を必要とする限り、現実を超越しようとする限り、冒険は続いて行く。
きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
ベストを尽くすのだ。
- 感想投稿日 : 2014年1月6日
- 読了日 : 2014年1月4日
- 本棚登録日 : 2014年1月4日
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