翻訳できない世界のことば

  • 創元社 (2016年4月11日発売)
4.07
  • (396)
  • (379)
  • (227)
  • (39)
  • (6)
本棚登録 : 6427
感想 : 510

【感想】
世界のさまざまな言語から、翻訳できない言葉を集めて一冊にまとめた本。
タイトルには「翻訳できない世界のことば」とあるが、正確には、翻訳できないというよりも、その状況を「一単語」で表現できる言語が他にない、という意味である。複雑な状況を明確に定義する言葉、一見使いどころの無さそうな慣用句などがたくさん収録されており、「こんな状況を一言で言えてしまうのか!」と読んでいてどんどん楽しくなってしまった。

例えば、マレー語の「pisang zapra(ピサンザプラ)」。意味は「バナナを食べるときの所要時間」である。バナナを主食としていない我々からしてみれば、「食べるスピードは人によって違うだろ!」とか「何でバナナ限定なんだ!」というツッコミを入れたくなってしまうが、それは野暮なもんだ。言葉ってそういうものだから。
そもそも、日本語にも似たような表現がある。「腹八分」がその類だろう。満腹の状態の80%、つまりやや控えめに食べるという意味だが、外国語圏の人からしてみれば「80%は人によって違うだろ!」とか「何を食べるかによって変わってくるだろ!」とか言いたくなるかもしれない。しかし、言葉ってそういうものなのだ。

言葉(母語)は、それが使われている文化と切っても切れない関係にある。
例えば、アマゾン奥地に住む少数民族「ピダハン」には、数字を表す概念がない。彼らは非常に原始的であり、実際に見たものしか信じない。それは「論より証拠」の範疇を超えており、文法と思考そのものが「実際に見た」ことしか語れなくなっているのだ。そのため、ピダハン語に未来完了形はなく、「左右」「数字」「色」といった、原風景を抽象化する概念も存在しない。

言語が文化を規定するならば、様々な「翻訳できない言葉」を眺めるうちに、その国の文化を何となく想像することもできる。
本書に出てくるヤガン語の「マミラピンアタパイ」。これは同じことを望んだり、考えたりしている二人の間で、何も言わずに、お互い了解していること、である。
この言葉が面白いのは、2人とも、それを言葉にしたいと思っていないことにある。だから(?)「マミラピンアタパイ」は綴りが不明なのだ。それをわざわざ文字に起こさなくても、2人の間で考えを共有していれば、暗黙のうちにコミュニケーションは成り立つ。
私はヤガン語を話す人々がどんな文化圏にいるか知らないが、このような言葉を使う人たちは、きっと普段から言葉少なで分かり合っているのではないか。自分の感情を口に出す代わりに、身振りや態度で気持ちを示し、それとなく相手と分かり合っていく、そんな以心伝心によるコミュニティを築いているのではないだろうか。ついそんな想像をしてしまう。

さて、気になるのは我らが日本代表。
日本語からは
・木漏れ日
・ボケっと
・侘び寂び
・積ん読

の4つが翻訳できない言葉に選出された。
「詫び寂び」の概念が外国語に無いのはなんとなくわかるが、それ以外の3つはとても意外。木漏れ日って日本語にしかない表現なのか…と少し驚いてしまった。

この中で自分が心に染み入ったのは、「ボケっと」のページに書かれた解説文である。

「日本人が、なにも考えないでいることに名前をつけるほど、それを大切にしているのはすてきだと思います」

なるほど思ってみれば、日本人は、昔から空間を切り取ったり光を遮ったりして、「間」や「陰翳」を見出すことに情熱を捧げてきた。主役である「物体」や「光」よりも、そこに隠された「無」や「陰」を愛でる。引き算こそが日本の文化であり、それが言葉にも表れている。
やはり、言葉と文化は切っても切れない関係にある。そう改めて感じた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【面白いと思った単語集】
オランダ語「gezellig(ヘゼリヒ)」
単に居心地よいだけでなくて、ポジティブであたたかい感情。物理的に快いという以上の「心」が快い感覚。たとえば、愛する人と共にときを過ごすような。

タガログ語「kilig(キリグ)」
おなかの中に蝶が舞っている気分。たいてい、ロマンチックなことや、素敵なことが起きたときに感じる。

マレー語「pisang zapra(ピサンザプラ)」
バナナをたべるときの所要時間。

スペイン語「vacilando(ヴァシランド)」
どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする。

オランダ語「struisvogelpolitiek(ストラウスフォーヘルポリティーク)」
直訳すると「ダチョウの政治」。悪いことが起きているのに、いつもの調子で、まったく気づいていないふりをすること。

ヤガン語「表記不明―マミラピンアタパイ」
同じことを望んだり、考えたりしている二人の間で、何も言わずに、お互い了解していること。(2人とも、言葉にしたいと思っていない)

アラビア語「ヤーアブルニー」
直訳すると「あなたが私を葬る」。その人なしでは生きられないから、その人の前で死んでしまいたいという美しく暗い望み。

フィンランド語「poronkusema(ポロンクセマ)」
トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離。(約7.5キロ)

ドイツ語「drachenfutter(ドラッヘンフッター)」
直訳すると「龍のエサ」。夫が、悪いふるまいを妻に許してもらうために贈るプレゼント。

ポルトガル語「saudade(サウダージ)」
心のなかになんとなく、ずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、または、愛し失った人やものへの郷愁。

カリブ・スペイン語「cotisuelto(コティスエルト)」
シャツの裾を、絶対ズボンの中に入れようとしない男の人。

サンスクリット語「カルパ」
宇宙的なスケールで、時が過ぎていくこと。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年7月16日
読了日 : 2021年7月15日
本棚登録日 : 2021年7月15日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする