現在のように信仰の自由が人間の基本的人権の内のひとつとして当然のように確立されている日本においても、未だ果たしてキリスト教は、本来のキリスト教足り得ているのか疑問である。
その疑問点についても、おそらく著者は自身がキリスト教であるためにより苦悩し、この作品中においてもフェレイラを通じて「日本人は...我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。」「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だが教会の神ではない。」
などと語らせ問いかけているのであろう。
日本人においてキリストもデウスも、それは唯一絶対的な神でなく、あくまで外国の神として、言うなれば八百万の神の一人として内包されるのではなかろうか。
その時点でそれはもう別のものとしての存在至っていると言えよう。
日本人の宗教・神の概念の捉え方としても一石を投じた素晴らしい作品である。
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- 感想投稿日 : 2016年10月26日
- 読了日 : 2016年10月26日
- 本棚登録日 : 2016年10月26日
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