助けてと言えない 孤立する三十代 (文春文庫 編 19-3)

  • 文藝春秋 (2013年6月7日発売)
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 自己責任論。
 今の世の中に痛いほど響く声。
 人生に失敗した人間が、どん底に落ちる。そのときに、落ちた責任がその人の無責任な行動にあることを理由に救済しないなら、それは人の世ではない。

 私はそう思う。

 たとえ無責任な行動の結果であっても、救済もせず放置する社会は間違っている。

 なぜか言う理由はない。おそらく、困った人を助けるという単純な思いが人類の発展につながったという最近の研究成果とも関係ない。
 ただ、私がそのように思うだけだ。


 この本には三十代という私と同年代の人たちの苦境が描かれている。
 これを読んで、この間読んだビックイッシューの挑戦にも同じようなシーンがあったのを思い出した。

 それはイギリスのビックイッシュー代表者が日本に来たときに漏らした言葉だ。
 なぜ彼らは暴動を起こさないのか?

 おそらく、その答えは自分の置かれている状況は自分の責任で社会に責任がないと思っているからだろう。

 誰にも迷惑をかけたくない。

 そんな日本社会。

 震災のときに、混乱せず整然としていることが美徳として世界に報じられた。
 しかし、その美徳の裏にはこんな暗部がある。あの美徳を支えている感情と同じものが、どん底にあって救済を拒むのだ。


 なかなか複雑な思いがする。


 明日は我が身。

 まったく、その通りだ。

 今が平穏で、今まで努力をしていたから大丈夫などとなぜ思えるのか。私には理解出来ない。

 努力が支えるものは明日の平穏ではないのに…。
 個人の努力など自然の猛威や社会の波で一瞬に消え去るのに。

 そんな経験を何度もしたからこそ、人間は助け合うことこそが生存と繁栄のために必要な力だと学んだはずなのに。


 戦争を忘れたことを平和ぼけと言うらしいが、助け合うことを忘れるということはなにぼけと言えばいいのか?


 助けて!
 助ける!


 このツーとカーこそが人類の基本であることを思い出してほしい。
 これこそ、努力が紙のように軽い時代に、生き残った人類の知恵なのだ。


 こんなことを書くと、必ずこういう人がいる。

 無責任なことをやって、その後で安易に助けを求める奴が出てくる。

 それなら、助け方を考え直せば良いのであって、助けることを否定してはいけない。
 安易に助けを求められた方が助けるのも楽なのだ。
 一部の特殊な例を持ち出して、救済が後手に回る社会を作るべきではない。
 安易に助けを求める社会こそ構築すべきなのだ。
 その方が、社会はより発展する。

 社会の力というのは、そこに存在し活動する人間の総和以上にはなり得ないのだから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: その他
感想投稿日 : 2013年12月16日
読了日 : 2013年12月16日
本棚登録日 : 2013年12月16日

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