集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス)

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  • NHK出版 (2008年9月25日発売)
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第二次世界大戦前後から9.11以降の現在に至るアメリカの政治思想の歴史を、その時々の政治的状況を顧みながら概観する。「アメリカ現代思想」と言っても、アメリカに拠点を移したヨーロッパや非西欧圏出身の思想家なども含まれるので、本書がカバーする範囲は広い。

第一講ではロールズ以前のアメリカの思想状況として、全体主義を批判し自由を擁護したフロム、ハイエク、アーレントなどが紹介される。

第二講以降は、ロールズの正義論と、それに対するリアクションとして展開された種々の思想が時代を追って紹介される。

ロールズに対する種々の批判や応用、広義のリベラリズムとポストモダニズムの関係などを解説した第三講〜第五講が本書の最大の見所だと思う。
厚生経済学者のアローやハーサニは、格差原理と同等の考え方は功利主義の理論の中にも含まれていると批判した(マクシミン・ルールや平均的効用最大化原理など)。
ドゥウォーキンは、ロールズの議論を法哲学に応用し、「平等の配慮と尊重」を原初状態において既にある自然権として明確に位置付けた(【権利基底的リベラリズム】)。
ノージック、ブキャナンらの【リバタリアン】、マッキンタイア、サンデルらの【コミュニタリアン】からのロールズ批判は周知のとおり。

ほかにも:
ウォルツァー、テイラーなどのコミュニタリアン左派による【多文化主義】と、ポストモダニズムから影響を受けた【差異の政治】(多文化の“共生”は多数派の勝利を意味するとして退ける)との対立。
画一的な正義は新たな抑圧を生むとして主流のリベラリズムを批判したコノリー(【戦闘的リベラリズム】)と、個人のアイデンティティーの確立には【他者による承認】が不可欠と主張するテイラーとの対立。
私的領域の問題として政治的課題から外されていた「家庭内」の問題には、職業やジェンダー分業といった“公的”な問題が入り込んでいるとして“公的領域”の拡大を図った【ラディカル・フェミニズム】、etc。
ポストモダニズムからの影響を受けたこれらの思想は、伝統的/西欧中心的/男性中心的な“多数派”の土俵で相撲を取ることを拒否するものと言えるだろう。そして彼らの主張は簡単に退けられるものでもない。

第六講で紹介されるローティは、ポストモダニズム的な視座から前期ロールズ的なリベラリズムを批判する思想の最たるものだ。ローティは、リベラルな道徳観は人間本性から出る必然的なものではなく、偶然的なものに過ぎないと主張する(【リベラル・アイロニスト】)。
『正義論』では“人間本性”的なものを想定せざるを得なかったロールズも、後年にいたって「正義に関する合意」は哲学的なものではなく、あくまで政治的なものであるとして、自身の主張をやや後退させており、ローティはこれを評価している。

第七講〜第八講では、ハーバーマスに代表されるフランクフルト学派や、インターネット社会の“サイバーカスケード”現象を危惧したサンスティンらの【討議民主主義】、アメリカの自由民主主義が孕む矛盾(共同体的価値観の喪失)を指摘したフランシス・フクヤマの【歴史の終焉論】、非西欧文明の脱西欧化を指摘したハンチントンの【文明の衝突論】、市民社会の拡大によるグローバル民主主義が【ジハード対マックワールド】(非西欧vs西欧、伝統文化vsグローバリズム)の対立の深刻化を救うとしたバーバー、異なる価値観をもつ者同士の緊張・対立・連帯を含む相互作用を重視したネグリ=ハートの【マルチチュード論】、ロールズの正義論は途上国には適用できないと批判したアマルティア・センの【潜在能力向上論】など、正義や民主主義を巡る議論及び思想家が紹介される。

自由や民主主義といった、西欧的(とされる)価値観をとことん相対化しようとする試みの歴史はスリリングで読み応えがあった。
ロールズの正義論に関して疑問に思っていた部分(人は原初状態で本当に同じ選択をするか?)への批判を知ることができて有益であった。

個人的には、相対主義的なローティよりは、ドゥウォーキンの自然法論や、ウォルツァーやテイラーなどのコミュニタリアン左派の議論に共感を覚える。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2015年1月28日
読了日 : 2015年1月28日
本棚登録日 : 2014年9月15日

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